解説
選択肢の吟味において、「×・△・?」を選択肢の該当箇所に付けていきます。×は「これはちゃうやろ」、△は「ちゃうかもしれん」、?は「びっみょ〜」って感じです。
問1
(ア) 純粋 / ①盛衰 ②推測 ③粋 ④垂直
(イ) 拘束 / ①抗議 ②交渉 ③拘泥 ④巧妙
(ウ) 隆盛 / ①隆起 ②時流 ③建立 ④留意
(エ) 提唱 / ①発祥 ②合唱 ③無償 ④暗証
(オ) 薄明 / ①博識 ②拍車 ③迫真 ④薄弱
問2 正答③
手塚治虫の画の描き方についての設問です。課題文中に引用されているインタビューにある通り、手塚は自身の絵を「パターンがある」「ひとつの記号なんだと思う」と述べており、「パターンを組み合わせると、ひとつのまとまった画らしきものができる」と言っています。傍線部の直前でも「あらかじめこのような『記号』が存在し、(中略)パターンが任意に組み合わされて、一人の人間が表現される」とありますので、手塚の表現においては「一人の人間」を描いているのではなく、「パターンの組み合わせの結果として、表現手段としての記号が出力される」のような感じであるとわかります。
選択肢の吟味
①「任意の人間集団の特徴を体現したものだから」が△です。手塚の画に人間の個別性が存在しないのは、集団の特徴を抽出しているからではなく、パターンの組み合わせの結果としての記号と捉えられるからです。
②「細部が捨象されて無機質な表現となったものだから」が×です。確かに手塚の画は特徴的ですが、その描き方によって「個別性が存在しえない」のではありません。
③正答です。ただ、「物語を作り出すための道具として用いられたものだから」は?を付けていました。そんな書かれ方してたかなぁと。まぁ〜インタビューの中で「お話をつくる道具として画らしきものは描いてますけど」という記述があるため、大丈夫なんだと思います。厳密に厳密に取ればちょっとズレてる気もしますが、これが一番マシです。
④「象形文字から発想を得た手法で描かれており」が×です。「手塚の画は象形文字みたいなものである」と「手塚の画は象形文字から発想を得ている」は同義ではありません。
⑤「細部の具体的な描写の集積によって作られており」が△です。記号性や組み合わせ性といった内容から外れてしまっています。
問3 正答③
ちょっと難しくなってきましたね。手塚にとっての漫画は、「人工言語」みたいなものだと述べられています。本文にある通り、そもそも自然言語には「もとになる意味づけ」があります。これは、その言語が使われてきた歴史的文化的な文脈のうえに言語が成り立っているってことです。一方で、(本文において)人工言語は「もとになる意味づけがない」とされています(私は必ずしもそうとは思いませんが……笑)。つまり、歴史的文化的な文脈とは関係なく、その言語を作った人が取り決めたことによって言語が成り立っているということです。だからこそ、例えばエスペラントといった人工言語はさまざまな歴史的文化的な制約を受けずに、さまざまな歴史的文化的な文脈を持つ人からも受容され得るということが言えるかと思います。
手塚の漫画も同じってことですね。パターンの組み合わせの結果として、記号的な側面を持つ手塚の漫画は、日本的な文脈に囚われることなく、さまざまな歴史的文化的な文脈を持つ人々から受容され得る可能性が高いということです。課題文筆者はこれを「まんが記号は非『日本語』として手塚にはあった」としています。
選択肢の吟味
①「手塚がまんがから個性を除いて人工的な言語に通じる表現を探究した成果である」が△です。手塚の漫画は結果的に人工言語と相似的に見られますが、「人工的な言語に通じる表現を探究した」とは書かれていません。
②「手塚が作者としてのこだわりを持たず定型を踏まえた登場人物や物語を作り出した」が△です。「パターンとしての表現を行った」ことと、「こだわりを持たない」はイコールではないと思います。また、びみょ〜ですが、手塚の漫画は「定型を踏まえる」というよりは「型を自分で作ってそれを使い回す」というような捉え方になるかと思います。
③正答です。「固有の歴史や文化と結びつかないまんが表現」というのが、「まんが記号は非『日本語』」であったということです。
④「手塚が作者の特権性を放棄して読者を意識した作品作りを目指した」が△です。手塚の漫画が「読者を意識」しているという説明はされていないかと思います。
⑤「手塚が日本独自のものにとどまらない新たな表現を工夫した結果である」が△です。手塚の漫画の(日本的文脈に囚われない)記号性という観点が抜けており、単に表現をどうしようかという話になってしまっています。
問4 正答④
文章Ⅱがいきなりえらい観念的な話になってびっくりしちゃいますね。さて図2の話です。とりあえず図に書き込んで考えてくださいね。
本文で述べられている順番で考えましょう。ピラミッドの一番下の(c)が「指標」の次元であり、「接触」によって規定されるとされています。これは、例えばあなたが誰かと向かい合って話す時の伝達・媒体を指しています。その伝達・媒体は、あなたと誰かが話している「その時・その場所(≒いまここ)」を超えて広がることはありません。次に、ピラミッドの一番上の(a)が「象徴」の次元であり、「言語、特に文字を典型とする」とされています。文字は、例えば電子メールにすれば「いまここ」を超えて伝達を可能にします。これは、文字という媒体が、「いまここ」に依存せずとも意味を伝えることができるという意味で、「意味の象徴」として働いていると言えるって感じです。で、その中間が「類像」です。「いまここ」は超えられるが直感的…ということは、電話とかはここに入るんでしょうかね? 電話はボイスメッセージと違って「ここ」は超えられますが「いま」は超えられませんし。
次に、図2内の矢印についてです。ピラミッドの下から上(指標→類像→象徴)に向かう矢印(d)は、本文で解説されている通り、「個体の成長、文化の進展が、(中略)直接的な接触関係から、イメージの獲得を経て、(中略)脱文脈的に理解される言語、文字の次元へと進んでいくことに応じたもの」です。例えば言語が成立するプロセスで言えば、その場・その時の「モノ・コト」があり、そこからイメージを取り出して音声言語に変換することで、「その場・その時」をある程度削り落とし、さらに文字言語に変換することで「その場・その時」をさらに削り落とし、それに伴って取り回しが良くなっていく……といった具合です(いけてます?笑)。
一方で(e)の矢印は、(d)の逆方向とは言っていますが、あんまりプロセス的な話をしているのではない点に注意です。本文で説明されている(e)の矢印は、「複製技術としてのメディアの変遷」です。本文で触れられている複製技術の変遷は、①印刷術(文字の複製)→②写真や映画(イメージの複製)→③テレビ(「いまここ」を意図的に構成して複製)→④デジタル技術(例えばSNSなど、「いまここ」をそのまま複製)という具合ですが、この①〜④の変遷は、「文字(象徴)の複製」→「イメージ(類像)の複製」→「いまここ(指標)の複製」という変遷であることがわかります。これが(e)の矢印ってことです。
上述した通り、(d)の矢印と(e)の矢印は同じような感じで書かれていますが、同一な流れの逆方向ではなく、(a)〜(c)の各段階が関わる捉え方を別々に提示しているって感じで考えた方が適切かと思います。
選択肢の吟味
正答の④以外は上述した通りです。
④は全体的に誤りです。個体の成長や文化の進展に関わるという点は合っているのですが、「直接的な接触関係が(中略)直感的なメディアの運用を促す」がよくわかりません。
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問5 正答②
間違えました! 〈キャラ〉の性質を厳密に理解しきっておりませんでした。
〈キャラ〉を理解していくうえでは、「ロゴ」との対比で考えるのも一助となります。文章Ⅱの後ろから二つ目の段落にある通り、ロゴとキャラは両方とも「類像」の次元に分類されます。これは、これらの意味を運ぶ媒体が「その時・その場限り」ではなく別の時間空間まで意味を運ぶことができる一方、ある程度意味が固定的であり、文字言語ほど取り回しが良くないという性質(つまり、「指標」と「象徴」の間くらいの性質)があるからです。
しかし、ロゴ(「ブランド名を表す、アルファベットの文字要素を洗練化したVI」)は「象徴の次元に接し」ているとされます。ロゴは、特定の場面に依存するのではなく、そのブランドの価値を時間空間を超えて広く伝えることに価値があるためです。一方でキャラは、(これは、文章Ⅰで手塚の描くキャラがそんな側面を持っていたように)「何かを伝える」こともできますが、より受容者との「接触」において意味を変容させたり、膨らませたりすることができます。例えば、ある作品に登場するキャラに対して、そのファンが「そのキャラならあり得そうな新しい設定」を付けたとしましょう。もちろんそれだけではその人の範囲における受容のあり方が変わるだけですが、もしそれが他の人にも受容されるようになれば、そのキャラによって媒介される意味の一部を担うようになります。このように、キャラは「接触」によって変容し得るという点で、より「いまここ」に近く、ある意味で取り回しが良くない媒体と言えます(ロゴは基本的には勝手に消費者の側で変えられないですよね)。このことを指して、文章Ⅱの第二段落では「〈キャラ〉はモノとの関係を断ち切り、それとしての自立性を獲得する。〈キャラ〉は、それを作成した企業や、あるいは、それが登場する作品とは、無関係に独自の発展を遂げるのである」と述べられています。
蛇足ですが、正直いって文章Ⅱ、読者にちょっと不親切じゃないかなと……。「指標」という語の定義を明確にする前に「指標的」と言っていて、ちょっと追いつくのに時間がかかります。
選択肢の吟味
①「消費者が既存の企業イメージを更新することができる」が△です。「〈キャラ〉は、それを作成した企業(中略)とは、無関係に独自の発展を遂げる」ので、企業イメージと必ずしも結びつきません。これも蛇足で、本文内容には含まれませんが、多少結びつく場合もあるとは思います。ワンピースのルフィは尾田先生(および集英社?)のイメージをあまり直接的に運びませんし、ルフィとして独自に動く時も多そうですが、ファミリーマートのファミッペはファミマのイメージを割と運ぶし、あまりファミマから独立して動きづらいという感じです。その意味で、ファミッペはロゴに近い(類像の中でも象徴寄りの)キャラと言えます。(追記:ファミッペはファミマのマスコットではなくファミペイのマスコットでした)
②正答です。ちゃんと上述した内容が含まれています。
③「言語的な制約を超えて情報を伝達するための道具として機能する」が△です。確かに文章Ⅰにおける手塚のキャラはそういう感じの説明がされているのですが、ここではキャラの記号性ではなく「指標」つまり「いまここ」の「接触」に近いのはどういう側面があるからなのか、という話なので、あんまり適切ではありません。この書き方だと、普遍的な伝達力があるという意味で「象徴」に近い話になってしまいます。
④「ロゴは(中略)企業や商品とは別にそれ自体が独立したシンボルとして流通する」が△です。キャラはモノとの関係を断ち切り自律的な動きをすることができますが、ロゴは企業価値や商品価値を広く伝えること自体に本義的な価値があるため、それらのモノとの関係を断ち切ることができません。
⑤「〈キャラ〉は(中略)具体的な場面に即した交流の起点となり得る」が△です。確かにそういうこともあるかもしれません(例えば、あるキャラに関して他の人と話すなど)が、キャラの「指標」への接近性は、キャラの自立性によるものなので、「交流の起点になる」ためではありません。
問6(i) 正答①
これまた間違えました。問5を間違えるとこれも間違えますね……。
文章Ⅰでは、問3で見たように、手塚治虫のキャラクターが人工言語のような記号性を持っていたからこそ、普遍的に受け入れられやすかったという感じのことが書いてありました。一方で文章Ⅱでは、問5で見たように、キャラの自立性(「いまここ」での接触によって独自の発展を遂げること)が述べられていました。各選択肢はこれらがマトリクス的に組み合わされているので、適切に外していきましょう。
選択肢の吟味
①正答です。
②「キャラクターの言語記号的性質に基づく固有性」が×です。
③「キャラクターの人工言語的性質に基づく固有性」が×です。
④「〈キャラ〉の類像的性質に基づく親和性」が×です。私は問5で⑤を選んでしまっていたので、こっちでもこれを選んでしまいました。かなしい。
問6(ii) 正答④
文章Ⅱで最後の方に述べられていた〈顔〉的対象としてのキャラについて、しっかり読んでおきましょう。概ねの場合、キャラは「顔」を持っています。ルフィもファミッペの顔がありますし。でもロゴは「顔」がないですね? そして我々人間の「いまここ」の接触(つまり「指標」的な伝達の舞台)は、「顔」を意識することが多くあります。本文において、これはそういう認知的性質を人間が持っているからだとされます。そのため、我々はロゴよりもキャラの方が、気を引きつけられたり反応したりしやすいってことですね。
選択肢の吟味
①「〈顔〉的対象である〈キャラ〉に自らの姿を投影することができる」が△です。本文ではそんなこたぁ言っておりません。
②「〈顔〉にはモノとの関係を断ち切る働きがあるので」が△です。〈顔〉的対象である〈キャラ〉は、確かにモノとの関係から自立的に発展しうるのですが、それはキャラが〈顔〉的対象であるからという因果ではありません。
③全体的に△です。〈キャラ〉と人が対話するみたいな感じのことって書いてありましたっけ?
④正答です。無難of無難な選択肢です。
問6(iii) 正答③
ここまで見てきたように、「キャラ」には(文章Ⅰにおける手塚治虫のキャラクターのような)記号的・普遍的な性質と、(文章Ⅱで述べられたように)「いまここ」での接触において独自に発展する性質の両方があることが分かります。この二つの見方を土台として、問6の対話文中で問題になっているのは、「手塚の意図とインタビュアーの反応とのずれについて」です(そもそも、インタビュアーの「反応」がほとんど書かれていないので、推測の範囲がやや大きすぎる印象で、正直良い設問とは私は思いません)。
文章Ⅰのちょうど真ん中あたりにわずかに書かれていますが、「手塚は、インタビュアーのキャラクターへの思い入れを拒絶するかのように、このまんが記号説を語ったのである」とあり、ここが主な推測根拠となります。おそらく、インタビュアーは手塚のキャラクターに愛着を持っており、それはまさにキャラクターが受容者との接触によって自立的に価値を付与できる性質によるものです。手塚はキャラを記号的に捉えているので、「自分が伝えたいことを伝えるために必要なことだけをキャラにさせている」わけですが、受け手としてのインタビュアーは、そのキャラを(作者である手塚から)自立させて受け取り、ある意味「勝手に」好きになることができるのです。よって、キャラは記号として広く流通する普遍性を持ちつつ、個別的な受容において、勝手に発信者の意図以上の意味を自立的に持ったりもするってことですね。
またまた蛇足ですが、こんな風に一箇所一文を集中して読めていないと解けない設問はあまり好きではありません。笑
選択肢の吟味
①「手塚のキャラクターが(中略)、日本固有の文化的な特徴とを合わせ持っている」が△です。手塚のキャラクターは普遍性の方に重きがあり、だからこそ広く受容されたとされています。
② 「手塚のキャラクターが(中略)、読者が愛着を示すことができる人間的な部分とを兼ね備えている」が?です(多分実際はそう言えるんでしょうが)。文章Ⅱの記述に沿うと、手塚のキャラクターに愛着が持てるのは、「人間的な部分があるから」ではなく、受容者との接触において自立的に価値が変化しうるからです。
③正答です。
④「手塚のキャラクターが(中略)、作品を代表するものとして受け止められる側面とを合わせもっている」が△です。よくわかりませんがそんなことは言っていない気がします。
読解後のつれづれ
いや〜難しかったです! 本当に共通テストの課題文か?と何度か思いました。笑
特に問4は難しかったな〜と思いますが、丁寧に理解を進めていけば明瞭になっていく良い設問だと思いました(問6と違って……)。もし問4の理解が及ばなかったという方がいれば、もう一度解説を読み直してみてください。時間内に解けなくても、こういう感じの観念的なものの捉え方を取り込めるようになっておくことは、追々の知的体力に関わってくるかと思い、その良い成長機会になる気がしました! さて今回もお疲れ様でした!



