こんばんは。またけったいなタイトルの記事ですが、オノマトペの話です。
オノマトペは、親しみやすさやキャッチ―さがありつつも、言語学ではかなり深みのあるテーマです。ちょっと怖くてなかなか足を突っ込みづらいまでありますが、今回は私が不思議だなと思うオノマトペについて扱いたいと思います。
オノマトペとは
オノマトペの定義について、時々誤解を持たれている方も見ますので改めて確認しておきます。
擬音語・擬態語を指す用語はさまざまであり、〈中略〉日本語学やバスク語学では「オノマトペ」(onomatopoeia)という総称も用いられる(ただし原語であるフランス語のonomatopéeは「擬音」の意)。
秋田喜美(2015)「擬音語・擬態語」斎藤純男ほか(編)『明解言語学辞典』pp.40-41, 東京:三省堂.
一般的に、「擬音語」は「音」を言語音に模写して言語の中に織り込んだものであり、「擬態語」は「様子」を捉えて言語音に還元したものと言えます(この表現に厳密性はありませんが、わかりやすさを重視してこんな感じで書かせてください)。
「オノマトペ」はそれらの擬音語・擬態語をまとめていう場合の語ということですね。
擬音語と擬態語の境界線
上述したように、ここで言うオノマトペには擬音語と擬態語の両方が含まれますが、この両者の境界線は明瞭なものではないように感じています。
例えば、「ぽつぽつ」というオノマトペを考えてみましょう。これは擬音語と擬態語のどちらだと思いますでしょうか?
①「雨がぽつぽつと降っている」と言えば、これは擬音語のように感じます。一方で、②「人がぽつぽつと立っている」と言えば、明らかに擬態語であると言えます。
だからと言って、この「ぽつぽつ①」と「ぽつぽつ②」は別の語と言えますでしょうか? 「雨がぽつぽつ」と「人がぽつぽつ」の「ぽつぽつ」はそれぞれ、共通するイメージ(まばらさ、ある程度の密度)がある気がしますし、区切りをつけるほど別の語とは言えないと思います。
もちろん、明らかに擬音語寄りの語や擬態語寄りの語もあると思いますが、擬音語と擬態語の境界は必ずしも明瞭ではないという点は言えるかと思います。その点でも、総称としての「オノマトペ」という用語は便利ですね!(その境界上の語を悩まずに「オノマトペ」と呼ぶことができるので。これも意味の大きな語の価値ですね)
語から生まれるオノマトペ?
ではタイトルに戻りましょう。「しみしみ」は私が以前見て、面白いな~と思ったオノマトペです。
これは、おそらく「しみこむ」「しみる」という語がその背景にある気がするオノマトペっぽいやつです。しみこむ音は直接的には聞こえないと思うので、擬音語ではなく擬態語寄りな気がします。ただ、「人がぽつぽつ立っている」の「ぽつぽつ」のような一般的な擬態語には、「元になっている語」があるわけではなさそうなので、そういった擬態語とは性質が異なりそうな気がします。
これと同じ気がしているのは「たぷたぷ」なのですが、これは、「水でお腹がたぷたぷだ」というような「普通のたぷたぷ」ではありません。
広大なインターネットをがんばって探してみても、もう再会することができないのですが、昔Twitterで見たエッセイ4コマ漫画のような画像内で、人がスマホをタップしている擬音として「たぷたぷ」というオノマトペが使われていました。この「たぷたぷ」、私としてはそんなに違和感ないのですが、皆さんはどうでしょうか?
これも「タップ」という語と関係がないことはないんじゃね、という気がしております。さすがに穿った見方ですかね?
どちらにせよ、スマホをタップする際の擬音として「たぷたぷ」って何か良くないですか?笑
こんな感じで、オノマトペではない語を由来としていそうなオノマトペというのがいくらかは存在するんじゃないかと感じています。これ以外もあればぜひ知りたいので、気づいた人がいらっしゃれば私のTwitterとかにも教えてください!
(2023/5/1追記)
「たぷたぷ」、母親からのLINEで見つけました。笑
おわりです
今回は簡単な記事となりましたが、私がちょっと変わってるんじゃねって思ったオノマトペについて見てみました。
いわゆる新語創造といったような部類のお話ですが、特にオノマトペは私たちの感覚を言語に還元している度合いが高く、その分すっきり整理することも難しいため、やはりなかなか深みのある領域だと感じます。
オノマトペは、その身近さにつられて高校生や大学生がレポート・卒論の題材とすることも多いテーマかと思いますが、安易に手を出すと痛い目を見るかもしれませんね……。笑 ではでは。