総評
さすがにそうですが、大問一よりは難しくなかったです。文章的には文語調で読みにくそうな感じもしますが、趣旨も明瞭で設問もスタンダードな感じがしました。本文と設問のバランスが取れている感じです。
大問一とは違い、それぞれの設問(傍線部)の守備範囲のすみ分けがある程度ちゃんとされているような感じがします。その分しっかり獲得したい設問も多いので、文系の人はこの大問でしっかり取っておきたい(落とすと遅れを取るかもしれない)というのもまた事実です。油断せずに参りましょう!
解答例と解説
問一
最上の芸術は、それが悠久に存在するような印象をもたらすため、芸術家が一夕に失われてしまうような芸術ではなく、そのような永遠性を感じさせる芸術を生み出すことを志向するのはもっともだということ。
ほい。シンプルに傍線部(1)が含まれるまとまりの内容をまとめていければ良い感じになるのではないでしょうか。傍線部(1)の骨子を抜き出しておくと、「われわれ芸術にたずさはるものが、今日あつて明日は無いやうな芸術的生命から脱却したいと思ふのは、至極当然のことである」となります。つまり、「芸術家が、永遠を欲するのは、もっともだ」って感じです。ほんで、それがなぜかというのを補足すると、夢殿の観世音像が、「誰かが作つたといふ感じを失つてしまつて、まるで天地と共に既に在つたやうな感じがする」ように、「芸術の究極の境」には芸術にも永遠性を感じさせるような極地がある(と述べられている)から、と言えます。芸術家がそのような、永遠を感じさせるような芸術の極地に惹かれ、それを目指すのはもっともだ、という流れになります。
ただ、これ私が参考にしている旺文社の解答例とは少し方向性が異なります。旺文社の解答例では、ここで言う「永遠性」を純粋な時間的な永遠性に限定しています。つまり、「芸術家が、自分の作品が時間的に永遠に残ってほしいと思うのももっともだ」みたいな感じです。一方で私は、ここで言う「永遠性」は純粋な意味での時間的永遠性ではなく、「時間的に永遠に残りそう感」という意味での永遠性だと思っています。本文で「今後無限に存在するとしか思へないやうな性質」、「天地と共に既に在つたやうな感じ」としているもので、「そんなような印象をもたらす(ほど優れた芸術である)」ことに重きを置いた捉え方です。本文この箇所において、芸術家は、「自身の作品が永遠に残ってほしい」と思っているのではなく、「自身の作品が永遠性を感じさせるものになることを目指したい」と思っているのではないかという。皆さんどう思われますか?
部分点
〈最上の芸術は、それが悠久に存在するような印象をもたらす〉ため、〈芸術家が一夕に失われてしまうような芸術ではなく〉、そのような〈永遠性を感じさせる芸術を生み出すことを志向する〉のは〈もっともだ〉ということ。
「最上の〜もたらす」は、夢殿の観世音像への形容と、それが「芸術の究極の境」であるという記述から取っています。それこそが極地であるため、芸術家がそのような極地を目指して、永遠性を求めるのはもっともだという書き方です。
「一夕に失われてしまうような芸術ではなく」は「今日あつて明日は無いやうな芸術的生命から脱却したい」を言い換えています。「すぐに失われてしまう」とかでも良いかと。また、「もっともだ」も「当然なこと」という傍線部自体を自分で言い換えている表現です。本文中に良い対応表現がないので、自分で言い換えちゃった方がよいと思います。
繰り返しになりますが、私の解答例では「永遠に残る芸術を目指す」のではなく「永遠性を感じさせる芸術を目指す」という方向性です。「志向する」は便利な言葉なので覚えておいて損ないと思いまっせ。私はよく使います。笑
問二
時間的な意味で永遠に存続するものなど存在しないのだから、芸術に永続的な存在を期待したり、心配したりすること自体に意味がなく、虚栄的で馬鹿らしいことであるという冷笑。
こちらもスタンダードに要約的な設問です。傍線部(2)が含まれる段落の一通りを、具体例を省きつつぎゅっとまとめられれば最低限点が取れると思います。ただそもそも「ニヒル」というのが「冷笑的」という意味合いを持っていることを知っていないと相当ピンチです。共テなら注釈が付いててもいいかもなラインですが、今回は傍線部になりながら付いていないので、文系の皆さんやったらこんくらい知っててくださいよっていう京大のメッセージですね。
さて、そもそも冷笑とは、自分の方が冷静に物事を見えている優越をややも感じながら、少し見下しながら鼻で笑うような印象です。つまり、傍線部(2)以前で説明されてきた芸術家の「永遠」への希求について、「天地であっても壊滅は予約されているのに、永遠を求めるなんて虚しい、虚栄だ、馬鹿らしいことだね、へっ」みたいな感じです。諸行無常ですなあ。解答例の各内容と本文内容の対応は次項に譲ります。
部分点
〈時間的な意味で永遠に存続するものなど存在しないのだから〉、〈芸術に永続的な存在を期待したり、心配したりすること〉自体に〈意味がなく、虚栄的で〉〈馬鹿らしいことである〉という〈冷笑〉。
「時間的な意味で永遠に存続するものなど存在しないのだから」は、「天地といへども壊滅は予約されているし」辺りから取っています。「時間的な意味で」はなくても良いと思いますが、傍線部(3)以降において、筆者は時間性に限らない永遠性について論を展開していくので、ここでは「時間的な意味で」と限定しておいた方が、我々と採点官にとってはわかりよいのではないかと思いました。
「芸術に永続的な存在を期待したり、心配したりすること」は「自己が死んで此世に消滅した後の作品の不朽と否とを心にかけるといふ事」を言い換えています。
「意味がなく、虚栄的」は「一種の虚栄であり、空の空なるものを欲する弱さ」から。「馬鹿らしいこと」は「そもそも迂愚であり」から。最後の「冷笑」は自分で言い換えています。
この段落最後の「芸術は製作時に於ける作者内面の要求を措いて他に考へる余地を持たないのが本当ではないか」は入れるか迷いましたが入れませんでした。この箇所はニヒルの後にやってくる考え的なものではないかな〜と思ったため。一文なので少し主旨が不明瞭ですが、例えば作者(や作品の享受者)が「作品ができた後に作品の存続に気をかける」のは無意味で、そうではなく「作品を作る際の作者の内面」について筆者(や作品の享受者)が考えること以外、芸術について考えられることってないんじゃね?って感じだと思います。
問三
芸術における永遠とは、その作品が時間的な意味で永遠に存在し続ける保証ではなく、享受者が芸術作品に触れた瞬間に、普遍的な美として作品に内在する永続的感覚をもたらすところにあるということ。
さぁ〜いい設問です。「感覚であって、時間ではない」を説明すれば大丈夫なのですが、解答例としては「芸術における永遠は時間ではなく、感覚である」という順番にひっくり返しています。これは日本語が後ろの方に主たる要素を入れた方がわかりやすい(ことが多い)という性質を持っているのでそうしていますが、別にそのままの順番でも間違いではないし減点もされないかとは思います。
まず「時間ではない」ですが、これは「時間的な意味での永遠に存在し続けることの予定認識ではない」という感じです。冒頭部分も同じことを言っていると私は思っているのですが、「永遠に存在する」ということが是なのではなく、「永遠を感じさせる」というのが是なのです。
つまり「(時間ではなく)感覚である」ということですが、この「永遠の感覚」についてもう少し詳しく見てみましょう。端的には「不滅を感ぜしめる力」と表現されています。「持続を瞬間に煮つめた、言はば、無の時間に於ける無限持続の感覚」とかは、めちゃ感覚的でよくわからん表現かもしれません。「持続」は「永遠」に繋がります。優れた芸術作品にはこの「持続」が超高濃度で煮詰められて込められているので、その芸術に一瞬(=無の時間)触れれば、一瞬で「無限持続(=永遠)」の感覚を受け取ることになるのです。「持続を瞬間に煮つめた、言はば、無の時間に於ける無限持続の感覚」、なんか異能バトル漫画で激強おじいちゃんキャラが使いそうな能力って感じしません? 私そういう強いおじいちゃんが好きなんだ。
ただ、この「無限持続の感覚」は、必ずしも(冒頭の夢殿観世音像のような)「(時間的に)無限に存在しそう」という意味合いではないと思います。「明日焼き棄てられる事の決定してゐる作品にも我々は永遠を感ずることができる」とありますので、作品の存在持続性とこの「一瞬で感じられる永遠」は別物です。じゃあ「一瞬で感じられる永遠」の背景にあるのは何か。
この段落最後に、「芸術は美を求めて進むものであり、その美の奥にはおのづから永遠を思はせるものが存在する。美は常に或る原型へと人を誘導する性質を持つてゐるからである」とあるのがぼんやりした答えを与えてくれます。美は「普遍的な美」として、時間・空間に左右されない根本的な美(=或る原型)があるのだ(と筆者は想定していると)言えます。それは「美しさの原型」であり、全ての人にとって、全ての時代にとって「美」です。そこに永遠性(を感じさせるもの)を担保するものがあるってことですね。各芸術は、「美を求めて進むものである」ため、「美」は突き詰めれば「美しさの原型」に向かい、そこに普遍性→永遠性が感じられるって仕組みです。優れた芸術は、これがぎゅうぎゅうに煮詰められているので、作品に触れた一瞬で永遠を感じることができるってわけですね。すっかり内容解説に夢中で記述解説をほったらかしにしていましたが、この辺も説明してあげましょう。
部分点
芸術における永遠とは、〈その作品が時間的な意味で永遠に存在し続ける保証ではなく〉、〈享受者が芸術作品に〈触れた瞬間に〉、〈普遍的な美として作品に内在する〉永続的感覚をもたらすところにある〉ということ。
「芸術における永遠とは」は、(「於ける」をひらがなにする以外は)そのまま使ってしまっていいのではないかと思います。ここは主題提示の箇所なので、「何について述べるのか」を目線合わせする箇所です。よって我々もこの部分を言い換えようと腐心するのではなく、素直に同様の主題停止をするのが分かりやすいと思います。
「触れた瞬間に」は小さな部分点ですが、「即刻即時に於ける被享受性」「無の時間における無限持続の感覚」から、高濃度永遠性を流し込まれるのが一瞬に行われる点を取っています。あった方がいい気がします。あとの内容は上述の通りの内容をうまいこと整理して入れています。ご参考までに。
—–スポンサーリンク—–
————————
問四
永遠性を感じさせる芸術作品は、大なり小なり人間精神の根底にある普遍性をはらんでいるが、その普遍性が独特の程度、在り方であると、ありきたりであったり不可解であったりするため、すぐには人々に受容されないということ。
問三の理解内容が生きる設問やな〜と思って見ておりました。傍線部(4)と(5)が含まれる段落の内容を丁寧に読んでいく必要がありますが、一点ご注意をいただきたいのが、この段落中に二回登場する「しかも」です。これ現代の一般的な「しかも」ではなく、逆接の働き(「しかし」に近い)をしていると思います。概ねですが「しかしながらも」がつづまったものとして感覚的には理解してください。問四はまだ耐える気がしますが、問五はこの「しかも」がちゃんと通って読めないとやや理解に苦しむ気がしました……。
さて話を戻しまして、「大きさ」の話です。傍線部(4)から前に辿りながら読むと、「芸術上の大きさ」とは、「(その芸術が持つ)人間精神の地下水的意味に於ける遍漫疎通の強力な照応」(=結局のところ「高度な普遍性」)です。またおじいちゃんの必殺技みたいなの出てきましたね。
これ、「美の原型」とも少し近い内容なのではないかと思います。筆者曰く、人間の精神には、人間の根底を流れて同根に繋がっている(地下水的な)感性の「おおもと」みたいなものがあり、それはみんなに遍く(あまねく)、散漫と存在してそれぞれ共通認識を持てる(疎通できる)ため、この「感性のおおもと」を捉えていたり、含んでいたりするほど、芸術作品としては「大きさ」を持っているのではないか、ということかと思います。
そいで傍線部は、この「大きさ」が独自のものであると、「直ちに人にうけ入れられない」とのことです。これ、「独自の」とあるように、必ずしも「大きすぎる」だけではないと思うんですよね。「芸術上の大きさが小さすぎる」のかもしれないし、「芸術上の大きさがアホみたいな形してる」のかもしれないんじゃないかなと思いました。それらをひっくるめて「独自の大きさを持つ」という。
「芸術上の大きさが大きい」とは、その芸術に内在する普遍性の程度や密度、総量が大きいという方向性になると思います。それゆえ、あまりにも「大きすぎる」とみんなにとって「解り過ぎる」可能性がある方になるんじゃないでしょうか。みんなが持っている普遍性をたくさん含むんだから、多くの人に共感されるという水準を超えていくと、みんなにとって当然のことになっていく感じで。それは芸術とは言いづらいですよね。逆に、「不可解のため」抵抗をうける芸術は、「芸術の大きさ」が小さすぎたり変な形をしている場合です。みんなが持っている普遍性をあまり持たないため、みんなにとっては「解らない」ものになっていきます。
しかし(本文においては「しかも」)、それが優れた芸術作品であれば、そのような抵抗を受けた後には「人心の内部にしみ渡る」ことになります。そこに少なからず、「普遍性≒永遠性≒美の原型」を含んでいるからってことでしょうか。
部分点
〈永遠性を感じさせる芸術作品は、大なり小なり人間精神の根底にある普遍性をはらんでいる〉が、その〈普遍性が独特の程度、在り方である〉と、〈ありきたりであったり不可解であったりする〉ため、〈すぐには人々に受容されない〉ということ。
まず留意したのは、既に少し触れましたが、「独自の大きさ」という傍線部内の表現を丁寧に扱ったという点です。「大きい」だけでなく「小さい」場合、「変な形をしている」場合も接収できるような記述を心がけました。「変な形をしている」については本文内で直接記述があったものではないと認識していますが、「執拗な抵抗」を受ける要因となるのは、普遍性の程度(=多寡)だけではないんじゃねって思ったので、ギリギリを攻める記述にしてみました。笑
そしてこれも参考にしている旺文社の解答例とは違うのですが、私は「その後、時間をかけて受け入れられる」というところを含めていません(旺文社は含めています)。入れるか悩んだのですが、前半の普遍性の話に紙幅を割くと入らないな〜と思ったのと、傍線部は「直ちに人にうけ入れられない」なのだから、「うけ入れられない」で終わったったらええんじゃ!って思ったので、思い切って。笑
問五
作品中に大きな人間的普遍性を含まない芸術作品は、奇怪・個人感傷的に美しい印象で永遠性を感じさせるものではないが、このような数多くの瞬間的な芸術作品の産生の中から、普遍性や永遠を感じさせる優れた芸術が生まれるということ。
こちらも「しかも」をちゃんと逆接として取れていないとあまり文意が通らなくて頭を抱えることになる設問です。「芸術上の大を持たない作品は特殊の美であり、普遍の感をもたない。しかし、数多くきらめくそういう美から、真に偉大な美が生まれる」みたいな感じです。
問四で見たように、大きな普遍性を内在しない芸術(作品)は、人々にとって「解らない」という受容をされやすくなります。そのため、「変な芸術」「感傷的な芸術」と捉えられます。そういう芸術がいっぱいあるってことですね。それらの芸術は普遍性を大きく持たないので、「永遠」を感じさせることも大きくありません。しかしながら、筆者はそれらを「星の真砂の如く、恒河沙数の如くきらめくさういふ明滅の美」と形容しており、割とよく評価しています。そのたくさんの明滅の中から、「真に大なるもの」が生まれてくるからですね。
内容的にはそれほど難しくありませんが、筆者の表現意図(比喩など)を捉えつつ、丁寧に言い換えていくと高得点かと思います!
部分点
〈作品中に大きな人間的普遍性を含まない芸術作品〉は、〈奇怪・個人感傷的に美しい印象〉で〈永遠性を感じさせるものではない〉が、〈このような数多くの瞬間的な芸術作品の産生の中から〉、〈普遍性や永遠を感じさせる優れた芸術が生まれる〉ということ。
前半で「さういふ明滅の美」を言い換えています。「奇怪・個人感傷的に美しい印象」については、「偏倚の美乃至パテチツクの美」から取っていますが、「偏倚」(「かたより」みたいな意味合いだそうです)という語はあまり使わないので「奇怪・個人的」としており、「パテチツク」も(普遍性を含まないということは)「個人感傷的」と補って、かつそれらが必ずしも悪いものではなく、あくまで美しさに寄与しているという点を含めて「奇怪・個人感傷的に美しい」としています。
「このような数多くの瞬間的な芸術作品の産生」は、「星の真砂の如く、恒河沙数の如くきらめくさういふ明滅の美」を言い換えています。「数多くの」は「星の真砂」「恒河沙数の」から、「瞬間的な」は「明滅の」から取っています。星のきらめきのような一瞬な感じを持っている点と、「永遠性」の対置なので「瞬間的な」としている感じです。
傍線部は「〜こそ真に大なるものを生ましめる豊饒の場となる」ですが、「〜の中から真に大なるものが生まれる」でいいんじゃないかと思いました。構造に忠実に「〜は真に大なるものが生まれる土台となる」みたいな感じに書いてもいいと思いますが、そこに大きな内容的違いはないのではないかと私は思います。
読解後のつれづれ
「永遠を煮詰めて一瞬でぶつけんぞ」っていうのが優れた芸術という考え、さすがに持ち合わせていなかったので勉強になりました。まだそこまでの感覚に至ったことはないのですが、まぁ〜芸術の問題もあると思いますし私の問題もあると思います(ほどほどの他責)。
あと、個人的にふと気づきがあったのは、「永遠」って過去方向にも永遠なのだなあという点です(筆者は割と当然のように扱っていましたが)。本文冒頭でも「永遠とは、元来絶対に属する性質で、無始無終であり、無限の時間表現と見るべきであらう」とあるように、「無終」だけでなく「無始」でもあるわけです。なんでかわからないんですが、私は「永遠」という言葉を受け取った時に、「無終」は想起したけど「無始」は想起できていなくて、筆者に言われて初めて「おうおうそうだった無始でもあるわ」って思ったって感じです。「永遠に存在する」っていうと、やはり我々は「これから」にまず意識を向けるのでしょうか(これは、これからもずっと存在するのだなぁと)。皆さんはいかがでしょう?
とまぁそんなもんで。今回もお疲れ様でした!




