総評
短い課題文ですが、なかなか骨太な内容でした。和歌の解釈に関する文章なので、物語文ではなく論説文に近い文体です。
和歌の解釈に関する文章だけあって、理系設問としてはやや難しめだったかと思います。五行の記述はなかなか出ませんし。ただ内容としては概ね理解し通せる難易度感ではありましたので、問二も何かしらちゃんと記述し、手堅く半分程度の得点は取りたい感じでもあります。
解答例と解説
問一
頓阿の和歌には「いづくも」とあり、山中や山端だけでなく人里でも花の開きが遅い春であることが含意されているのだろうということ。
直訳すると「『いづくも』と言うには、里も遅いことも込もっているのだろう」という感じです。「いづくも」は「どこも(かしこも)」なので、「端山(山の端)」だけでなく「奥山(山中)」も、さらには「里(人里)」も開花が遅い春だということです。「里」はそのままでも良いとは思いますが、「奥山」との対比性を際立たせるために「人里」とするのがベストかと思いました。
「こもる」は「込める」の自発的表現かと思い、「こめられている」が適切かと思います。今回は「言外に述べられている」という意味合いを初読で読み取ったので、「含意されている」という言葉を(私が使いたかったので)使いました。
部分点
〈頓阿の和歌には「いづくも」とあり〉、〈山中や山端だけでなく〉〈人里でも花の開きが遅い春であることが含意されているのだろう〉ということ。
「いづくも」という言葉は、傍線部中でも引用的な印象がありますので、歴史的仮名遣いのママで引用しています。和歌自体には人里の様子は描写されていないのですが、「どこも(かしこも)」なので、山中(奥山)、山端(端山)、人里(里)と、どこも風が冷たいという要素を全て含めるのがベストです。
細かい話ですが最後の「べし」は推量と取るのがちょうど良さそうなので、「だろう」という訳出を含めています。
問二
山の奥に行くほど寒くなるので、花が咲くのが遅くなるのが道理だが、それを知らない素直な心で、山奥には早く咲き始めた花があるかもしれないと思って山中に分け入ると理解すると、どこも開花が遅い春なのだなあと春を待ちかねる作者の心を読み取れるため、この和歌の解釈でも現実世界の道理と作者が感じる心を分けて説明すべきだということ。
五行……! 久々に五行の問題を見た気がします笑 傍線部としては二番目ですが、これが本文全体の設問と理解して問題ないでしょう。
「実の理」と「作者の見る心」の具体的な内容を明らかにしつつ、とありますので、傍線部(3)より後の記述を主には参考にしつつ記述を組んでいきます。
「実の理」は、「現実的な道理」という理解なので、「普通に考えたらこうだよね」という理性的な考えのことです。傍線部(3)の直後に「まづ奥山ほど〜遅きが実の理なり」とありますので、ここが解答箇所になります。訳出すると「奥山になるほど寒さが強いため、花が咲くのがより遅くなるのが道理である」のような感じです。
「しかるを(=しかしながら)作者の心は」と続きますので、これ以降もそのまま取っていきます。「その道理を知らない者になって、里はまだ花が咲いていないけれど、山の奥には早く咲き始めた花もあるのではないかと思って、山奥を訪れながらも、山奥に行くほど寒さが強くなり、風も冷たく、まだ花が咲いているような様子も見えないので、それならば人里だけではなく山の奥までどこもかしこも開花が遅い春なのだなあと思っている意味である。(和歌が)『春かな』と終わっているところに、花を待ちかねている心が深く表れている」という感じで、全部一通り訳出せざるを得ません。笑
「作者の心」として、上記のどこまでを取るか……という話なのですが、散々悩んだ結果、私は「全部取る」という荒技に出てしまいました……だって五行なんだもん……笑 というのもありますし、課題文末尾の「花を待ちかねたる心深し」を「作者の心」としないのは流石に難しいなあと思ったためです。でも逐語訳ではいくら五行でも収まりませんので、かなり端的にまとめ直しています。
その上で、設問としては「傍線部(2)とはどういうことか」ですので、「実の理と作者の見る心とを分けて説くべし」を土台に据えます。つまり、「このように考えるのが道理なのだが、このような作者の心も想定できるので、(諺解のように道理に寄った解釈をして作者の心を捉えきれないのではなく)、道理と作者の心を分けて解釈すべきだ」となります。ここまでの内容を超合体させると解答例になります……笑 「実の理」に反するけれど、こんな気持ちで行動して思った気持ちが和歌に詠まれているのだと理解することで、和歌の視点となる人物がなぜ山中に分け入ったのかということも推測でき、より深い解釈につながるよね、って感じです。
個人的には五行としてもやや私の解答例は長すぎるきらいがあることは自覚しているのですが、どうしてもこれ以上詰められませんでした。要素もりもりなので、↓の部分点解説でさらい直してください!
部分点
〈山の奥に行くほど寒くなるので、花が咲くのが遅くなるのが道理だ〉が、〈それを知らない素直な心で、山奥には早く咲き始めた花があるかもしれないと思って山中に分け入る〉と理解すると、〈どこも開花が遅い春なのだなあ〉と〈春を待ちかねる作者の心を読み取れる〉ため、この和歌の解釈でも〈現実世界の道理と作者が感じる心を分けて説明すべきだ〉ということ。
「実の理」の部分は取りやすいと思います。一方で、「作者の心」はどこで切るか、人によって悩んだ場合も多いかもしれません。上述の通り、私は「全部取る」という選択をしましたが、ちょっと試験本番でこの荒技に出られるかというのは難しいと思います。その場合、「それを知らない素直な心で、山奥には早く咲き始めた花があるかもしれないと思って山中に分け入る」という箇所が直近になるので、この部分を「作者の心」として、「道理に反する作者の心を想定するべきだ」のようにまとめると及第点かと思います。でもその結果として「山中に分け入る→どこも花が咲いていないと納得する→それは春を待ちかねる心によるものだ」とかも、結構大事な気がするんだよなぁ。なので私は全部入れました。
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問三
この歌の道理がはっきりとせず、歌の中で山中に分け行っていくことの理由も読み取れなくなってしまうのである。
問二の内容とも関わりますが、「諺解の解釈では、作者(もしくは和歌の主体として想定できる人物)が山中に分け入る理由がなくなってしまうのである」が中核としての理解です。諺解では、山奥ほど寒くなるという道理に即した解説のみになっており、作者の心を別途解釈できていない、という大意で、「ことわりたしかならず」は「この歌が詠まれる道理がはっきりしなくなってしまう」という主張です。そもそも和歌って「心の動き」によって発露されるものなので、「作者の心」を飛ばして「道理」だけに寄った解説をしてもよろしくない、という感じですね。
部分点
〈この歌の道理がはっきりとせず〉、〈歌の中で山中に分け行っていくこと〉の〈理由も読み取れなくなってしまうのである〉。
直訳だと「道理がはっきりしない。山中に分け入ることも理由がなくなるのである」という感じです。内容としてある程度まとまりがあるので、句点を読点に読み替えて一文としています。
私も最初は「ことわり」が「実の理」と同じものかな〜と読んでいたのですが、「実の理」が見えなくなってしまう、というのはやや通らず、「この歌が詠まれる道理がわからなくなってしまう」という方が適切だと考え直しました。ややこの点は難しいと思いますので、後半の「よし(由)」を「理由」とちゃんと訳せているとか、その辺りに重点を置いた方がいいかもしれません。
読解後のつれづれ
本居宣長による文章なので比較的時代は現代に近い文章ではありますが、わざと口語ではなくしっかりとした古語調に書いている感じがしました。江戸時代の古文って割と口語に寄って崩れるイメージがあるのですが、本居宣長といえば古事記の研究者なので、なんかそういう古来を称揚する気持ちもあったのでしょうか?笑
内容に関しても、まとまりつつもなかなか唸ってしまいました。笑 確かに「作者の心」を想定しないと、和歌の中で「山深く分け入る」理由がなくなってしまうなぁと。和歌って文字面にある言葉を読み取るだけではないなぁと、改めて教わることができた設問でございました。以上、今回もお疲れ様でした!




