大学入学共通テスト国語 2025追試[1(評論)]解説

目次

解説

選択肢の吟味において、「×・△・?」を選択肢の該当箇所に付けていきます。×は「これはちゃうやろ」、△は「ちゃうかもしれん」、?は「びっみょ〜」って感じです。

問1

(ア) 依拠 / ①唯々 ②天衣 ③威風 ④依然
(イ) 偶然 / ①遭遇 ②土偶 ③寓話 ④一隅
(ウ) 真剣 / ①冒険 ②剣道 ③検挙 ④謙虚
(エ) 滞留 / ①帯びる ②貸す ③滞る ④怠る
(オ) 増殖 / ①服飾 ②養殖 ③寝食 ④物色

問2 正答①

本文が二〇一〇年発表のものであることはリード文から分かります。これ地味に大事です。二〇一〇年といえば私も中学生。当時の中学生でガラケーを持っている人は少数派でした(少なくとも京都の中学生であれば……)。まぁ大人はガラケーを持っている人が多かったとは思いますが、現在のようにスマホでぽんぽん連絡を取り合う状況が一般的ではなかったはずです。そのような状況において、「待ち合わせ」はどのようにして成立していたのでしょうか。

冒頭段落にある通り、「人が待ち合わせ場所に行くのは、相手が来ると期待しているからであり、相手が待ち合わせ場所に来るのは、自分もそこに行くと相手が期待しているから」です。「相手が来ることを自分は期待し、相手は自分が期待していることを期待しており、自分は相手が『自分が来ることを期待していること』を期待していることを期待しているから…」という具合に、筆者はこれを「無限後退していくような不安定な事態」としています。そのような期待の連鎖のうえに、待ち合わせは偶然成立するという感じです。

そして、次の段落に続くように、「この待ち合わせにまつわる期待と不安は、(中略)社会(学)の期限に位置する秩序問題に触れている」とされています。思うに「待ち合わせ」もとても社会的で、かつ秩序的な行為ですよね。それと同様に、我々の社会にも「他の人がちゃんとするから自分もちゃんとする」ということが多くありますそれって誰が(何が)支えているの?誰も(何も)支えてなくね?というのがここでの指摘です。これを筆者は「コミュニケーションの本源的な不確定性、すなわち自明のように感じられている『社会』の底が抜けているかもしれないと告げる囁きのようなものだ」としています。

選択肢の吟味

①正答です。傍線部である「はたして『会うことはいかにして可能か』」という箇所を挟んで、「待ち合わせ」というトピックが少し押し広げられ、「社会秩序やコミュニケーション」といった内容に一般化されています。

②「待ち合わせは理論的には成立が難しいながらもやむを得ず実践されてきたことであるが」が△です。「やむを得ず」という方向性の記述は本文には見当たりません。

③「社会においても期待と不安を持ちながら人間関係を築いていかなければならないことと関連している」が△です。社会においても期待と不安を土台とする(不確定な)秩序やコミュニケーション構造があるとは言っていますが、人間関係を築いていく話はあんまりしていません。

④「人と人との信頼関係なしには社会秩序は維持できない」が△です。ここでは「期待と不安」は主題となってはいますが、「信頼関係」についてはあまり重視されていません。

問3 正答④

傍線部直後の「たとえば、〜」が解答の直接的な手掛かりになっています。例えば、人口100人で出入りもほぼない村を想定してみましょう。そこでお米を育てている年配のAさんがいたとして、99人はみんなAさんのことを知っていて、Aさんの概ねの行動パターン(季節に合わせて朝には田んぼに行って夜には家にいる)も把握しているのなら、Aさんに会う必要が出た場合「Aさんがいそうなところに行く」のが最も早いわけです。わざわざAさんに連絡して待ち合わせをする必要はありません。

一方で、現代の皆さんのように、「いつどこで何をしているかが比較的決まっていない」場合、待ち合わせの必要が出てきます。そりゃ平日夜とかは大体家にいるだろうけど、土日の日中はどこにいるかの予測が難しくなります。家にいるかもしれないし、スーパーにいるかもしれないし、家族と旅行してるかもしれない。だから予め「時間」と「場所」を決めて待ち合わせをするわけです。「その時間にその場所で会える」という、前提となる期待をお互いに生じさせるために、ですね。

選択肢の吟味

①「それらの機能とは別に待ち合わせにふさわしい場所を設定する必要がある」が?です。ハチ公像のように、結果的に待ち合わせにふさわしい場所が出現していたり、待ち合わせのためにわかりやすい場所が設置されたりすることはあると思いますが、本文内で「設置する必要がある」とは述べられていないように思います。

②「他の活動を伴った複雑なコミュニケーションとしての待ち合わせが行われる」が△です。「集団のメンバーの活動範囲や行動パターンが限られている共同体」においては、相対的に待ち合わせの必要性自体が低いため、「複雑なコミュニケーションとしての待ち合わせ」とはなりません。

③「各人が移動を最小限にするための待ち合わせ場所を設定する必要がある」が△です。待ち合わせ場所は(「訪問」とは異なり)「中間地点」が設定されることにはなりますが、それが「移動を最小限にするため」とは必ずしも述べられていません。

④正答です。特に言うことがありませんね〜。

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問4 正答④

傍線部Cを境界として、「ハチ公神話」(を取り巻いて「待ち合わせ」が、どのようなイメージを纏っていたか)が変化した前後を捉えていきましょう。戦前のイメージにおいて「待ち合わせ」は「切なく、美しいもの」として想起され、「待つこと」は「不安と忍耐の時間的経験」と言えました。ハチ公もそれに我慢強く耐える美しい文脈に乗せられていたわけです。一方で、戦後の記事に表れるイメージでは「待つこと」は「美しさではなく、執着とされ、反転する」とあります。記事はえらい辛辣やなとは思いますが、ハチ公が渋谷に来ていたのは「忠犬」としての美しさではなく、「動物」としての「馴れ」であったと捉えるイメージもあったということも確か、という感じです。

選択肢の吟味

①「真実性を持った神話として普及していった」が?です。どちらかと言えば本文の記載は「ハチ公神話がどのようなものであったか」ではなく、「ハチ公神話をどのように人々が捉えていたか」という変化の方に寄っています。

②「駅に通い続けたハチの姿を焼き鳥に対する執着と捉える人が増えるにつれて」が△です。この部分は原因的な過程というよりは結果的な過程かと思います。「待つこと」に対する人々の捉え方が変容するにつれて、ハチ公の「待つこと」も動物的に捉えられるようになった、という方が適切です。

③「『動物=ハチ公』神話が対抗神話として作られていった」が△です。「動物=ハチ公」神話が「対抗として作られていった」というのはやや意図性が過ぎる印象です。上述の通り、「結果として『動物=ハチ公』神話が現れてきた」の方が近いかと思います。

④正答です。「待つこと」に対する感覚が「切なさや美しさの象徴」から「執着」に寄っていくことで、ハチ公の神話も同様の変質を被ったという形になっています。

問5 正答②

結構悩みましたが合ってました。かつての待ち合わせは、渋谷ならハチ公前、新宿なら紀伊國屋前と、「わかりやすい」場所で「落ち合う」ことが主題でしたが、だんだんとスタジオアルタや道玄坂の『109』といった「ファッション性や遊び心」が付帯されたスポットで待ち合わせるようになってきたということです。それにより、待ち合わせは軽やかなものとして意味づけされ、ファッショナブルに演出された軽やかな待ち合わせスポットが新たに作られます。そうして増殖する待ち合わせスポットはそれぞれ「新しい/古い」「オシャレ/ダサい」と判定され、「待ち合わせ」それ自体や、それを取り巻くいう文化的営為全体が「不確定性と戯れる」ものになっていったと説明されています。

選択肢の吟味

①悩みましたが「待ち合わせ場所がファッショナブルな演出によって新しく意味付けし直されていく」が?かと思います。本文内の言及は既存の待ち合わせ場所が「意味付けし直されていく」のではなく、それとは別の待ち合わせ場所が生まれていくという方向性でした。もちろん細かく言えばそれらの新しい待ち合わせ場所との比較によって、旧来の待ち合わせ場所の意味づけも相対的に変化していくものとは思いますが……。

②正答です。ファッショナブルな待ち合わせ場所は、相手が来るまでの「不確定な時間」を軽やかに楽しめる場所となっています。まぁ確かにハチ公前ではそんなに楽しいこともないですからね……。

③「商業的に活性化されていることが待ち合わせ場所の選定において重視されていく」が△です。そのような、待ち合わせをする側の視点的な言及はあまりないと思います。また、「相手と待ち合わせ場所で遊ぶことまでを目的とする行為になった」も△です。「不確定性と戯れる」の「不確定性」は「会えるかわからない状態」であり、「相手と待ち合わせ場所で遊ぶ」だと会った後なので、違うかと。

④「待つこと自体を楽しむ能動的な行為になった」が△です。「待つ時間を楽しいことに充てる可能性も開かれた」みたいな感じならいい気がするのですが、「待つこと自体を楽しむ能動的な行為」とまで統合的に言えるかは微妙です。「待つ」と「遊ぶ」を気軽にスイッチできる、「待つ」と「遊ぶ」が一部重なりながら時間を過ごせる、という感じです。

問6 正答④

割と難しくはない気がしますので、なるべく合わせたい設問です。適切ではないものを選ぶ設問ですので、さっくりした解説になります。

選択肢の吟味

①〜③適切です。②だけやや局所的な言及となりますが、傍線部Bの直前の段落が「待ち合わせの意味の限定」に相当します。

④「提起した問いに対する多様な結論を示している」が△です。全体の結論としては時代の変化に伴って「待ち合わせ」の位置付けも変わってきたね〜という感じで、そんなに主張的ではありません。ただ、全体として一貫した議論になっているので、「多様な結論」とは言えません。

読解後のつれづれ

言われてみれば「待ち合わせ」という営為は時代の波をもろに受ける行為ですね。今となっては時間も場所もざっくりでよくて、遅れそうならスマホで連絡すればいいし、会えなければ通話すればいいし。待ち合わせが深刻になりようがないわけです。

昔を顧みると、私が携帯を持っていなかった小中学生の頃は、小さかったのもあり(特に土日の)「待ち合わせ」はより深刻なものだった気がします。平日に学校で、時間と場所を友達と決めて、ちゃんとその時間・その場所で出会うまで、気軽な連絡手段はないわけですから(するなら家に電話するとかね)。でも今の小中学生はスマホ持ってるよね。今回の課題文は二〇一〇年発表ですが、今の待ち合わせは当時よりも一層軽やかなものになっていることでしょう。それは良いことが悪いことか分からんですけどね。

そんなところです。今回もお疲れ様でした!

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