このページは、2026年度大学入試共通テスト本試験 国語 大問1(評論)の解説です。
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解説
選択肢の吟味において、「×・△・?」を選択肢の該当箇所に付けていきます。×は「これはちゃうやろ」、△は「ちゃうかもしれん」、?は「びっみょ〜」って感じです。
問1
(ア) 肩 / ①健脚 ②空拳 ③堅実 ④比肩
(イ) 透かして / ①陶酔 ②逃亡 ③哀悼 ④浸透
(ウ) 塗料 / ①塗布 ②吐露 ③前途 ④渡来
(エ) 根幹 / ①乾電池 ②基幹 ③慣用句 ④貫通
(オ) 尺度 / ①借用 ②縮尺 ③釈明 ④磁石
問2 正答③
傍線部内の「それ」とは、筆者が日常の中で「美しさ」を備えている(と筆者の目に立ち現れてくる)ものと出会った時、その対象が「私には理解しきれない『他者』」として存在し、「出会ったことのない『他者』の物語を無数に含み込んだものへと変貌していく」という経験のことを指します。ざっくりもう少し具体的に言うと、例えば「陽を透かしてざわめく葉のきらめき」と相対した時、それが「美しい」と自分にとって感じられることは確かなんだけれど、それがなぜ「美しい」のかや、「美しさ」を切り分けて言葉にすることができないという体験を筆者は象徴的に述べており、その「言葉にできなさ」から「理解しきれない」と表現している感じです。「言葉にできない」→「掴んでハンドリングできない」ことによって、その背後には抽象的な「美しさ」に触れる経験として、「具体的な場所や時間を超えて、出会ったことのない『他者』」、それも「美しさを備えた他者」と共通する(という意味で「無数に含み込んだもの」としての)経験であると言えます。こういった美しさと対面する経験を、筆者は「心地よさを味わわせてくれるもの」としています。
選択肢の吟味
①「他者の基準とは異なる『わたし』自身の感覚で風景のみすぼらしさに『美しさ』を求め」が△です。筆者が「美しさ」を感じる対象は、「いわゆる『美しいもの』では必ずしもなく、むしろみすぼらしかったり薄汚れたりもしていた」とはありますが、「そういうものを美しいものとして求める」というわけではなく、「『美しい』と思うものが結果的にみすぼらしかったりする場合もある」という話です。
②「自分自身に対する理解を深めていくことに言い知れない心地よさを覚えていた」が△です。あくまで、「美しい」と思えるものと相対した時に、「理解できない美しさ」と向かい合うことが心地よかったのであって、「自分自身への理解」という方向性ではありません。
③正答です。が、「わからないものに思いがけず出会い」はビミョーじゃねって思ってました。「わからないものに出会う」というよりは、「美しいもの、ただなぜ美しいと思うのか言葉にできない=わからないもの(という経験)」に出会うという話だと思います。
④「幼少期から疑問を抱き続けてきた『わたし』が、他者の求めるルールや基準を放棄し」が?です。「わたし」は他者(社会)の「見えない約束事」を理解できないことも多くありましたが、「疑問を抱き続けてきた」というほど積極的に疑っていたとは読み取れません。また、「美しいもの」と向き合うにあたって、そういった「見えない約束事」を放棄したとも書かれておらず、それとは別の話として、という印象です。
問3 正答②
「素材」は造形者にとって「他者」にあたりますので、必ずしも完全に造形者の思い通りになるわけではありません。例えば、彫刻刀で木を削り出すとき、完璧にイメージ通りに彫れるわけでもなかったり、粘土で造形する時に、狙った形で固まってくれなかったり。その時、造形者は「その結果として出現する思いもよらない素材の姿を受動的に味わう時間」をもたらされるわけです。「受動的に」という言葉からもわかるように、造形者はこの時「能動的な主体」ではなく、素材からの働きかけを受ける「受動的な客体」となっています。つまり、表現者と素材は「表現者が素材を操作する」という一方的な関係ではなく、相互作用を持つ関係であるというわけです。この相互作用を、傍線部では「素材との交流」と表現しています。
選択肢の吟味
①「素材が作者の内的イメージを補強することから、それにともない作品の完成の形が方向づけられていく」が△です。本文では、素材が作者の意図(理解)とは無関係な現象として現れるという側面が強調されているので、「作者の内的イメージを補強する」というような(作者にとって)都合のいい感じでは書かれていません。
②正答です。が、「そのなかで作者のあり方も変わっていく側面がある」は?を付けていました。そこまで明瞭に「作者も変わる」って書いてあるわけではなくね?と思いまして。まぁ〜傍線部少し前のラスコーと壁画についての例示において、「不変の同一性としての自己の存在もまた揺るがされる」というのがそれに当たるのかもです。でもこれは「見る主体と見られる客体」の話であって、「作る主体と作られる客体」の話じゃない気がするんだよなあ。「受動的に味わう時間」から「作者のあり方も変わっていく」は言い過ぎでは?とは思います。
③「素材の『聖なるもの』としての姿を引き出す側面がある」が?です。ちょっと何言ってるかわかんないです。笑 「作者と素材の相互作用」という話になっていないので、全体的に不適です。
④「見る主体と対象との関係が逆転していく側面がある」が△です。「見る主体と対象」というよりは、造形行為においては「作る主体と対象」です。また、「逆転」も言い過ぎかもしれません。傍線部の前段落に「見る主体と見られる対象との超越的な関係は崩れ去り」とはありますが、「崩れ去る」と「逆転する」とは違います。造形行為においても、作る主体と対象の相互作用はありますが、「逆転する」とは言えないと思います。
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問4 正答②
傍線部を挟んでの論理展開を大きめに見てみましょう。冒頭から傍線部Cまでの箇所は、確かに筆者の記憶や経験を叙述している「だけ」と言えば「だけ」です。しかし傍線部後に続くように、こういった経験と感覚は「あらゆる芸術的体験の根源に関わるものではないかと、わたしには強く感じられる」ものであり、ここから論理展開が一般化されていく予感がします。この点を捉えられていれば難しくないと思います。
選択肢の吟味
①「比較し相対化する」が?です。「幼少期の体験の記憶」と「素材の変容を味わう制作過程」は、プロセスは違えど割と同じ方向性の経験として位置付けられているような印象です。また、「芸術的体験の多様性に関わるものとして強調しようとしている」も△です。筆者がこれから述べようとしているのは「芸術的体験の根源」ですので、「多様性」という方向性ではありません。
②正答です。「美しさ」に対する抽象的な「理解できなさ」が、さまざまな芸術的体験に通底するものなのではないかと言おうとしています。
③「誰にでもわかるものとして提示しようとしている」が△です。「本文の書き方をわかりやすくしようとしている」という選択肢な気もするのですが、「わからない(理解できず、言葉にできない)」ものである芸術体験を「誰にでもわかる」ものとして提示しようとしている、とも読めます。筆者は芸術体験を「(根源的に)わからない」ものとして提示しようとしていますので、②に比べて相対的に不適です。ちょっと多義的でヤな選択肢ですね。
④「芸術を主観的な価値をもつものとして説明しようとしている」が△です。確かに芸術に主観的な側面があることは述べられていますが、筆者の今後の論理展開としては芸術に通底する話になっていきますので、「個人的・主観的」を引きずるものではありません。
問5 正答③
私も間違えました!(①を選びました) 確かに悩んだ設問ではあります。「なぜか」という設問ですが、傍線部それ自体を理解できていれば考えていけると思います。
人間社会は「交換」を前提として成り立っており、他者とのコミュニケーションは「交換」がベースになっています。「交換」するためには「価値尺度や概念的枠組みが他者と共有されていること」が前提であり、お互いに価値を評価できているからこそ、交換が成り立ったり成り立たなかったりするわけですね。
しかし、これまで見てきたように「美しいもの」は「それがなぜ美しいか説明できない」「理解できない」ものであり、そこに他者と納得できる「価値尺度」を適用することが難しい(できない)ものです。我々は普段、暗黙の約束事(価値尺度)に照らしていろんなものを交換しながら生きているわけですが、「美しいもの」はそんな尺度をぶっ壊してしまう可能性があるわけです。これを傍線部では「絶対的に『わかりえない』余白としての『他者』の存在」としています。
選択肢の吟味
①これを私は選んでしまったのですが、「現実社会に」が△なのかな〜と思います。傍線部に「コミュニケーション可能な対象と信じられている他者の外側に」とあり、「コミュニケーション可能な対象と信じられている他者」こそが「現実社会」と言えるので、「わかりあえない他者」は現実社会の外側にいるってことですかね。
②「覆い隠されていた科学や論理に基づく第三者と共有可能な基準が明らかになり」が△です。ちょっと何言ってるかわからないです。科学や論理に基づく第三者と共有可能な基準……みたいな話なんてどこかでしてましたっけ?
③正答です。が、私は「世界のなかに」が違うんじゃね(傍線部で「他者の外側に」って言ってるんだし)って思って外していました。今なんとなく理解しましたが、①の「現実社会」と③の「世界」は指す範囲が違うんでしょうね。「現実社会」は「コミュニケーション可能な対象と信じられている他者」であるのに対して、「世界」はもうちょっと広くて、「余白としての他者」を含む範囲のことを指していそうな感じです。なので、「社会の外、世界の中」に「理解しえないものが存在する」という話になり、③の方が適切なんでしょう。
④「個人による感覚が最大限尊重される望ましい社会の姿に目を向けることができる」が△です。これもちょっと何言ってるかわからないです。ただ傍線部からそれっぽい言葉に言い換えているだけな気がします(どう間違っているのかを説明するのもやや難しい)。
問6 正答①
問5で見たように、「美しいもの」はその「理解できなさ」から、他者と共通の価値尺度を持って交換することが難しいものであるとされます。これにより、「美しいもの」は交換するものではなく「贈与する」よりほかないということになります。
この観点と、「作品を制作する」際の作者と素材との相互作用といった内容、「美しいもの」と相対した時に「見る主体と見られる対象との関係が崩れ去り、自己の存在もまた揺るがされる」といった内容から、筆者の「作品を制作すること」に対する姿勢をまとめ直している設問となっています。
選択肢の吟味
①正答です。課題文末尾に「微かに期待しながら」とありますので、「難しいながらも願っている」というニュアンスも問題ありません。
②「『作品』の受容者に『美しさ』という概念の虚構性を、難しいながらも届けようとしている」が△です。「美しさ」は「理解できない」とは言われますが、「虚構」とは言われていません(そこまで言っちゃったら筆者もサミシイかもしれませんね)。
③「かけがえのない自己や新たな世界に気づくことであると考える筆者」が△です。特に「かけがえのない自己」がよくわかりません。本文全体として、あまり「自己」の方に目を向けていないので……。
④「誰にもわからない『美』を完成させることであると考える筆者」が△です。筆者は、「美しいもの」はそもそも「理解できない」ものだとは言っていますが、「誰にもわからない『美』を完成させる」のような、大それた単眼的なことは言っていません。
読解後のつれづれ
とても難しいというわけではないですが、設問によっては厄介な選択肢もありました。本文は具体と抽象のバランスもよく、個人的には読みやすい部類だったかと思います。
なぜか筆者の過去の体験に共感する部分が多々ありました。笑 私も小学生くらいのころ、「まるでよく知らない他人を眺めてあるかのような感覚」を覚えることが結構ありました(そう言えば成長するにつれて無くなりましたね)。今でもよく覚えていますが、小学校の校門を潜った後、ゆるい坂道を上っているとき、その様子を「本当の自分」は別室からテレビ画面で眺めている……みたいな感覚です(もちろん小学校の坂を上っているのは間違いなく私なのですが)。さすがに筆者ほど、それに対して自覚的であった(この感覚をメタ認知していた)わけではないのですが、今回の本文を読んで懐かしくはなりました。笑
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