総評
比較的本文は「わけわからん」という感じでではありません。そして、設問としても(一)や(二)はめちゃくちゃ難しいというわけでもありません。ただ(三)はやや難しく、(四)は相当骨が折れました。本文はそれほど難解ではないのだけれど、情報を飲み込んでちゃんと整理して密度を上げて吐き出すという、正統な国語の問題だなあという感じで好感が持てます。さすが東大だなあ。
解答例と解説
(一)
仮面は必ずしも普遍的なものではないが、地域や民族を超えて共通した特徴が認められるため、人間の普遍性や根源を探求する糸口となりうるということ。
傍線部冒頭に「その意味で」とあるので、その部分の説明が主となります。というか、それ以外の箇所に関しては既に割とわかりやすい記述なんだよな……。傍線部のそのままの長さと解答欄に入りそうな文字数の長さがそんなに変わらない気がします。よって、「その意味で」が説明によって長くなる分、傍線部の「仮面の探求は、」以降はやや短くまとめないといけないというイメージを持ってくださるのが良いかと思います。
では「その意味で」の理解です。直接的には、仮面において「よく似た慣習や信念が認められる」ことから、仮面に「人類の普遍的な思考や行動のありかたのあらわれ」が見て取れるという点です。そこから、画面に現れている「人類の普遍的な思考や行動」を手掛かりに、「人間の中にある普遍的なもの、根源的なものの探求につながる」と理解できます。
傍線部を端的にまとめることでやや紙幅に余裕ができるので、第一段落の内容をまとめ、解答例冒頭の「仮面は必ずしも普遍的なものではないが」を付加しています。
部分点
〈仮面は必ずしも普遍的なものではない〉が、〈地域や民族を超えて共通した特徴が認められる〉ため、〈人間の普遍性や根源を探求する糸口となりうる〉ということ。
一つ目の部分点は一番接続が緩い部分点です。ただ二つ目の部分点と対置することで、「共通した特徴が認められる」事実が際立つので、あった方がいいとは思います。
三つ目の部分点は、傍線部の「その意味で」以外の部分を頑張ってまとめ直しているものです。ここに関しては最初からある程度わかりやすい記述になっているので、正直なところ自分の言葉で端的にまとめ直すよりほかありません。
(二)
仮面は憑依の媒体となるだけでなく、神事を脱し芸能化する場合など、憑依と異なる固有性があり、必ずしも憑依の媒体とならなくとも存立するということ。
傍線部ア以降、仮面は「異界」との接続の一表出として解説されます。また、仮面によって「異界」の力をコントロールしようとするという態度は、設問(四)にも関わってきます。ただ設問(二)としては、その後言及される「憑依」に関する箇所でなんとかなる感じになっていると思います。
「憑依」は「異界の力を可視化する装置」として、「異界」の話からつながります。仮面を被ることで「霊が依り憑き、踊り手はその霊になりきる」「仮面をかぶった踊り手はもはや仮面をかぶる前の彼ではない。それは神そのものだといった議論」が多く見出される程度には、仮面は憑依と結びついています。
ただ、仮面は「神事を脱し芸能化」することもあると書かれており、例えばお祭りのお面とかは、そこに憑依性はないけれど、仮面的性質は持ってるよねってことで、「必ずしも憑依と結びついていなくても、仮面は仮面と言える」ということを指摘しているのが傍線部です。これをもうちょい抽象的に述べているのが、傍線部の少し後の「仮面は憑依と重なりあいつつも、それとは異なる固有の場を持っている」という箇所です。仮面において、憑依が結構大事な要素であることは確かなんだけど、憑依がなくても仮面とは言えるよね、じゃあ仮面から憑依を差し引いたらどんな固有性があるのかをこれから見て行こう……っていう感じのところです(その答えは以降で述べられる「可視的な身体境界」の話です)。
部分点
〈仮面は憑依の媒体となるだけでなく〉、〈神事を脱し芸能化する場合〉など、〈憑依と異なる固有性があり〉、〈必ずしも憑依の媒体とならなくとも存立する〉ということ。
一つ目の部分点はあんまり核心ではないので、一文として自然な流れが組めれば、そのまま含める必要もないかな〜とも思いましたが、仮面にとって憑依が大きな重なりを持っていることは確かなので入れておきました。
「神事を脱し芸能化する場合」は「憑依と異なる固有性があり」の具体例を示している箇所です。「憑依と異なる固有性がある」だけではちょっと何いってるかわからない気がしたので、「憑依と重ならないところもある」の具体を示しています。傍線部の直前でもありますし、含めておいた方が良い部分点です。
最後の「必ずしも憑依の媒体とならなくとも存立する」は傍線部自体を言い換えた表現です。「仮面には憑依じゃないところもあるよ」ということです。正直なところここは自分で勝手に言い換えるしかない気がします。
(三)
顔は他者からの認知の要であるのに、変化が激しく自身からは不可視だが、仮面で顔を覆うことで、固定され自他ともに見ることができる表面を作れるということ。
短くまとめることに苦労しました。ちょっと無理くりな感じもする解答例ですがご容赦いただいて……。
課題文中で引用されている和辻哲郎の指摘にある通り、「顔」というのは他者がその人を認識するために非常に大事な要素です。しかし、自分自身の顔を自分の目で直接見ることはできません。それなのに、顔は表情を変えることで、かなり激しく変化する部分です。確かに手とか足とかお腹とかと比べると、顔ってとても情報量の多い変化をしていますね。そんな顔に仮面を付けることは、「(付ける前に)自分が直接見ることができ、かつ変化しない仮面で自分の顔を固定する」ということです。
再説になりますが、顔は他者からの認識においてかなり大事な要素です。それを「自分が直接見ることができ、変化しない仮面」で覆うことで、他者からの自分の認識を固定することに、少し安心することができます。これが仮面の固有性であり、憑依と重なり合いつつも、仮面としての働きのコアとして述べられています。
部分点
〈顔は他者からの認知の要である〉のに、〈変化が激しく〉〈自身からは不可視〉だが、仮面で顔を覆うことで、〈固定され〉〈自他ともに見ることができる表面を作れる〉ということ。
ちょっと部分点の振り方が厄介ですが、なんとか理解していただけると……笑 本来の「顔」の性質を述べているのが一つ目から三つ目の部分点で、それを仮面で覆うことで起こる出来事を述べているのが四つ目と五つ目の部分点です。
傍線部は、仮面をかぶることで起こる身体的な変化を比喩的に述べている箇所なので、その前提となる「顔」の身体的特質を説明してから、仮面をかぶることでそれがどのように変化するかを説明している感じです!
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(四)
ちょっと申し訳ないのですが、解答例として二つ提示させてください。一つ目が、シンプルに私が最初に書いたやつで、二つ目が旺文社の解答例も見て「はえ〜」つってもう一回書いたやつです。多分二つ目の解答の方が良いのだろうけれど、時間をかけたって高校生がこの水準に到達できるとは思えません……。
仮面は、視認したり働きかけたりできない異なる世界の存在者を可視化し、その力をコントロールしようとしたり、他者からの認知の要となるにも関わらず、変化が激しく直接見ることもできない自分自身の顔を、可視的に固定したりできる装置だということ。
仮面は、認知不可能な異界の存在者の力や、変化が激しくも不可視な自分自身の顔といった、直接見ることができず制御不可能なものを、一時的にであれ可視化・固定し制御しようとする、人間の根源的な欲求に基づくものであるということ。
確かに設問指示としては「本文全体の趣旨を踏まえて」とはありますが、ここまで踏まえるとは思っとりませんでした……笑 一つ目の解答例は、割と傍線部の説明に徹していて、仮面が「憑依」の媒体であることと、「顔を視覚的に固定する」ことができることを説明しています(これらがそれぞれ傍線部内の「異界」と「自分自身」に対応しています)。でもこれじゃああんまり「本文全体の趣旨を踏まえて」とは言えないというのは確かにそうなんだよなあ。
ほいじゃあどうすんねんという話ですが、課題文第一〜第二段落において、「仮面の探求は、人間の中にある普遍的なもの、根源的なものの探求につながる可能性を持っている」といったような内容が述べられていることから広げます。つまり、「仮面には人間の根源的なものにつながる可能性あるよ→仮面は異界(の存在)を可視化したり、自分自身の顔を可視的に固定したりできるよ→人間って根源的にそういう欲求があるってことだよね」という流れだということです。仮面が普遍的なものではない(世界中にあるわけではない)のに、仮面で実現されることの根底に共通性があるのなら、「人間である」というところにその根源を見出すよりほかないということです。我々は仮面を通して異界を可視化したり、自分の顔を可視的に固定したりすることで何かを為すことができ、それは人間が何らかの生存本能なようなもので共有している営為だということでしょうか。
全体としてはそんな感じなのですが、各記述は部分点で見ていってください。結局二つ目の解説の方が本来目指されるべきところなので、部分点に解説もそっちだけにさせていただきます。悪しからず。
部分点
仮面は、〈認知不可能な異界の存在者の力〉や、〈変化が激しくも不可視な自分自身の顔〉といった、〈直接見ることができず制御不可能なものを、一時的にであれ可視化・固定し制御しようとする〉、〈人間の根源的な欲求に基づくものである〉ということ。
要素もりもりやんけ!という声が聞こえてきそうです……笑 私もかなりがんばって記述を圧縮圧縮しました。
「認知不可能な異界の存在者の力」は「異界」を可視化する仮面の働き、「変化が激しくも不可視な自分自身の顔」は、顔を固定する仮面の働きを説明しています。これらに共通するのを「直接見ることができず制御不可能なもの」であることとしています(自分の顔は「制御不可能」としていいのか微妙ですが、変化が激しく不可知であるという点を踏まえています)。仮面はそんな「直接見ることができず制御不可能なもの」を「一時的にであれ可視化・固定」します。こうすることで、人間は「異界の力」や「自分の顔」を制御しようとすることができるわけです。どちらかというと、この「制御しようとする」が、「人間の根源的な欲求」につながります。わけわからんものを、仮面を媒体とすることで、制御しようとする。そうすることで自身やコミュニティにおいて、生存のためにメリットがある。そんな感じで、人類に通底する生存本能の一つの在り方が、仮面に現れているということなのかもしれません。
(五)
a 狩猟
b 遂げて
c 衝撃
読解後のつれづれ
仮面の根源的な側面を述べているところで、「遠く隔たった場所で酷似した現象がみとめられる」という説明がありました。ここを読んで思い出したのが、大学三年だったか四年だったかに読んだ英語の古い論文で、地理的に遠く離れ、確実に当時の交流はないであろう二地域で、通過儀礼の枠組み(スキーム)や民族説話のあらすじがほぼ同じようなものになっていることがあるという話だったような気がします。どちらかがどちらかを参考にしているのならわかるけど、そうではない二地域で、同じような儀礼やお話が伝承されているということです。これもまた、人間の根源的なところから表出しているものだからなのかしらん、と思い出しました。
また、途中で「顔」の重要性が述べられており、「私たちは、たとえ未知の他人であっても、その他人の顔を思い浮かべることなしに、その他人とかかわることはできない」と言われています。果たして本当にそうなのでしょうか? 今のこのネットが普及した世界なら? 顔がなくても、我々は関わることができているのではないかとか思ったり。
ここで連想するVtuberとか、VRchatとかが話をややこしくしますね!笑 Vtuberはまさしく現代における仮面の集大成。「顔」を固定することで安心して別の存在になることができますし。また、「ガワ」を被ってVRchatにいるとき、その人は顔どころか全てが実存する己と異なります。その交流が現実世界とは異なる、ともすると「異界」とも言える場所で行われるとき、仮面は異界を現実に可視化するだけでなく、我々の方を異界に連れていくこともできるようになってきたのかもしれません。
とまぁこの点はまだまだ考え甲斐がありそうですが、今回はこの辺で。お疲れ様でした!



