東京大学 2023[四]解答例と解説

目次

総評

個人的に味わい深い大問でした(?)。京大の課題文みたいで、柔らかさがありつつも捉えるのが難しく、どう言葉にしたもんかと思うような……。ただ京大だったら「思いつくことを統合させつつ三行とか四行で全部書く」ができるんですが、東大はそれを許してくれない(全部二行というね……)。なので、頭の中に概ねの解答を構想して言葉にしたあと、さらにそれをもう一段階ぎゅっとするプロセスを挟まねばなりません。

全体的に、とても難しい大問だとは思いますが、本番でないのであれば一度は自分の解答を作ってみると、(文系の皆さんにとっては)とても学びが多い大問でもあると思います。これが本番だった皆さんは……お疲れ様でした……(まぁ東大はそんなんばっかでもあります)。

解答例と解説

(一)

「平和」や「文化」といった言葉は、個人の経験とは分断された抽象的な観念を結晶化して仮託し流通させるものだと理解されやすいということ。

「観念の錠剤」という比喩を考えるより他ありません。文脈と比喩の両面から考えていきましょう。

まず、傍線部が含まれている段落は「たとえば」で始まっていますので、この段落は前段落(第一段落)と結びついています。第一段落で述べられているのは、「言葉は、それぞれの具体性的な経験をそれぞれが固有な仕方で『言葉化』していくことに意味が詰まっており、それがない言葉は意味が詰まっていない言葉(割れない手形)になってしまう」のような感じです。その後述べられるのは、筆者は「平和」や「文化」といった言葉にも出会いの経験(街路の名前として)があるんだけれど、一般的には「平和」や「文化」といった言葉は「どのようにも抽象的なしかたで、誰もが知ってて誰もが弁えていないような言葉として、観念の錠剤のように定義されやすい」ということです。つまりは、(具体の経験に立脚しているのではなく)抽象の観念をぎゅっとしたような言葉、のようにざっくり理解できます。

ここで言う「錠剤」という比喩についてもう少し考えておきます。錠剤は、効能を持つ粉末や液体を押し固めるなりカプセルに入れるなりして、人が扱ったり飲み込んだりしやすくしているものですね。粉末や液体だと、持ち運びや摂取がややしづらいので、押し固めたり閉じ込めたりするという。それを踏まえ、「観念の錠剤」も、「抽象的な観念を押し固めるなりして、扱いやすくしたもの」と捉えます。抽象的な観念はそのままだと扱いづらいので、「平和」や「文化」といった言葉に押し固めたり閉じ込めたりして、人から人への受け渡しや己の中での取り扱いをしやすくしているというわけです。私の解答例にある「仮託し流通させるもの」と言った表現は、この比喩の解釈から自分で引っ張り出しています。

ただ、この箇所は本文主旨の核にあるものではないという点はご留意ください。どっちかっていうと筆者のフォーカスは、具体的な経験を固有な仕方で言葉化していくプロセスや、それによって言葉になった言葉(?)にあります。

細かい話なので全然気にしなくていいのですが、それもあって「仮託」という言葉を使っています。筆者からして、抽象的な観念を結晶化して扱いやすくしたように捉えられた場合の言葉は、具体な経験や固有な言葉化のプロセスが意味として詰まっていないので、やや中身が詰まっていない印象をもたらします。「仮託」という少しだけマイナスイメージをまとった言葉で、その辺を表現できたら嬉しいなと思いまして……。

あと誤解なきように述べておきますが、筆者は「平和」や「文化」といった言葉が「観念の錠剤」である、と言いたいのではなく、「そういうふうに捉えられがちだよね」と述べているだけです。実際、傍線部以降は「平和」や「文化」といった言葉に対する筆者の具体的な経験が語られますし。

部分点

〈「平和」や「文化」といった言葉は〉、〈個人の経験とは分断された〉〈抽象的な観念を結晶化して〉〈仮託し流通させるものだ〉と理解されやすいということ。

傍線部の引き方がやや変わっているので、傍線部の元々の構造を保持した方がいいのではないかと思いました(「観念の錠剤のように定義されやすい言葉」とかに傍線部が引かれていて、「傍線部とはどのようなものか」とかで聞かれていれば、答え方が変わってくると思います)。主語(主題)は「『平和』や『文化』といった言葉は」として、「〜のように理解されやすい」とすることで、「〜のように定義されやすい」と合わせています。

あとは「観念の錠剤」を上述のように説明している感じです。二つ目の部分点は、第一段落で「個人の具体的な経験を固有な仕方で言葉化した言葉」との対比的な構造がありますので、観念の錠剤としての言葉は「個人の経験とは分断された」という情報を付加した方がいいかな〜と思って入れています。

(二)

社会に流通する意味を流用して言葉を使うのではなく、言葉と自身の経験の関係を定めることで意味を定めることができる、独立した存在状態。

ほぼ傍線部が含まれる段落の内容のみで記述を組んでいく必要があります。前提として、一つ前の段落で「平和」や「文化」といった言葉が筆者にとってどのような体験に結びついているかが述べられていますが、それは第一段落で言う「その言葉をどう経験したかという一人の経験の具体性の裏書き」を述べていると捉えられます。これは「平和」や「文化」といった言葉が「筆者に入ってくる」経験として、「そのはいってくるきかたのところから、その言葉の一人のわたしにとっての関係の根をさだめて」いく例と言えます。

本文の記述は「〜なければ〜ない」ですが、「〜できれば〜できる」と逆に考えるとわかりやすいかもしれません。「その言葉」と「一人のわたし」の間に関係の根を定めていくことができれば、傍線部である「言葉にたいする一人のわたしの自律」をしっかりとつくってゆくことができます。そして傍線部の後、「言葉にたいする一人のわたしの自律」がつらぬかれることで、「『そうとおもいたい』言葉に自分を預けず、自ら怪しむことができるわけです。わかるようなわからんような。

ざっくりまとめると、自分と言葉がそれぞれ独立して存在していることで初めて「わたし」に「言葉」が入ってくることができるし、そこから関係を作っていくことができるという感じです(それぞれが独立して存在しないのであれば、「関係」を築くことはできません。だって区別がないんだもの)。そうして関係が築かれることで、その言葉の一般に流通する意味(=「そうと思いたい言葉」)をそのまま受け取り使用するのではなく、そのような一般の使用を怪しみ、言葉を自分なりに(自分の経験を通して)理解し使うことができるって感じですね。独立した存在状態→それにより築ける独自の関係がなければ、一般の使用に迎合するしかないという話です。筆者はこのような状態のことをやや批判的な態度でとらえているように読めますが、本文においては「『そうと思いたい』言葉にくみする」、「言葉を社会の合言葉のようにかんがえる」という箇所に相当する部分です。

部分点

〈社会に流通する意味を流用して言葉を使うのではなく〉、〈言葉と自身の経験の関係を定める〉ことで〈意味を定めることができる〉、〈独立した存在状態〉。

内容を噛み砕いてまとめています。傍線部である「言葉にたいする一人のわたしの自律」は「独立した存在状態」としていますが、これは「自律」という言葉から自分で引っ張り出してきています。その「独立した存在状態」があれば、「言葉と自身の経験の関係を定める」ことなでき、「(自身の経験を通した)意味を定めることができる」ことになります。それは「社会に流通する意味を流用して言葉を使う(=『そうとおもいたい』言葉にくみする)」ことではありません。ここまでを逆順にして、最後の「独立した存在状態」に係らせる形でまとめています。

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(三)

戦後社会における言葉が、社会の共同性や協力性を名目に掲げ、各自己の経験の独立性を軽視し、全体主義的な賛同圧力を持つこと。

(二)から続けて考えるのが分かりやすいかもしれません。言葉は、言葉と私の自律を前提として独自の関係を築き、私にとって独自の意味を掴むことができました。しかし、「戦後の言葉」は「一人のわたしの自律をもたない言葉との関係を、社会的につくりだしてきた」と筆者は疑っています(「そういうことがなかったか、どうなのか」と言っていますので、筆者としては「そういうことがあったんじゃないか」と言いたいわけです)。

「一人のわたしの自律をもたない言葉との関係」とは、「合言葉としての言葉」であり、「その言葉によってたがいのあいだに、まずもって敵が味方かという一線をどうしようもなく引いてしまうような言葉」です。つまり、「同じ言葉を同じように使うかどうか」もしくは「同じ言葉を同じように使って、同じような思想信条や在り方を表しているかどうか」を区別することができるような言葉と言えます。合言葉としての言葉は、その言葉の使い方や、もしくは内容によって、「同質である・同質ではない」=「味方か敵か」を確かめることもできます。そのように言葉が「合言葉」として働くためには、「同じ言葉を同じように使う」必要があるわけです。「公共」や「全体」に対して益をもたらす、というような良い口ぶりをして(「口吻をかりて」)、「私にとっての言葉(との関係・意味)」を蔑ろにしてきたのではないか、というのが筆者の主張です。

部分点

〈戦後社会における言葉が〉、〈社会の共同性や協力性を名目に掲げ〉、〈各自己の経験の独立性を軽視し〉、〈全体主義的な賛同圧力を持つ〉こと。

「戦後社会における言葉」は、傍線部そのものの主語になっているので補っています。また「口吻を借りて」は「名目に掲げ」というように自分で言い換えています。「各自己の経験の独立性を軽視し」は、「一人のわたしの自律をもたない言葉との関係を、社会的につくりだしてきた」から取っています。

文末の書き方に関しては少し難しかったです。傍線部は「かんがえる」という動詞で終わっていますが、文脈的には連体形みたいな感じになっています。係り先である「言葉との関係」まで含めて説明するか悩みましたが、最終的には「合言葉によってかんがえる」までとして、「全体主義的な賛同圧力を持つこと」とまとめました。

全体的に、字数を短くまとめるために記述の密度が高めです。解説冒頭でも述べた通り、私は東大の問題を解く時、一度言いたいことを書き出してみて、それをさらに言い換える形で密度を高めるようにしています。

(四)

他者と交わす一つの言葉は、それを通して他者と自己との差異や自己の外縁を見出すことができ、他者との相互理解を進める舞台となるものだということ。

こちらも(三)から続けて考えていくのが良いでしょう。設問の意味が脈々と連なっていて、とても良い気分になります(?)。

「合言葉」としての言葉は、同質性を前提として全体主義的な賛同圧力をはらむ言葉となりますが、筆者としては((二)で見たように)本来言葉とは各々の具体的な経験との関係により意味が表れるため、「差異」を明らかにすることができるものです。このような「差異の言葉」としての性質を、今日の言葉は欠いていると筆者は述べています。そして、この「差異の言葉」を通して、「ここに何を共有しえていないかを確かめてゆく力を、じぶんにもちこたえられるようにする」、「言葉を通して他者をみいだし、他者をみいだすことによって避けがたくじぶんの限界をみいだす」という流れにつながります。言葉は違いをはらんでいるのだから、何が違うのかを確かめることに耐えられるようにする(違いを確かめることは大変なことなので)、そしてその違いによって他者との境界、そして自分の限界が明らかになる……ということですね。

部分点

〈他者と交わす一つの言葉〉は、〈それを通して他者と自己との差異〉や〈自己の外縁を見出すことができ〉、〈他者との相互理解を進める舞台となるものだ〉ということ。

割とシンプルに言い換えています。傍線部は「一つの言葉は」ですが、他者との違いの話なので「他者と交わす」を付加しています。言葉を通して他者との差異を明らかにすることができるのは、(二)で答えたような「各自の具体的な経験との関係」によるものですが、それを盛り込むと字数が大変なことになるのでそこは割愛し、「他者との差異」「自己の外縁」を見出すことができるので、「他者との相互理解を進める舞台と言える」とまとめています。「一人のわたしが他者と出会う場所」を「他者との相互理解を進める舞台となる」としており、比喩を比喩で説明しているような感じになっていますが、まぁ〜比喩の程度は下がってる気がするので説明にはなっているんじゃないかと……。

読解後のつれづれ

時間はかかりましたが個人的に良い大問でした。(一)〜(四)が有機的に繋がっていて、設問を解き進めるにつれて本文の理解が深まっていくような感覚を得られました。そんなん本番では感じてる場合ではないのですが、この解説も頭から終わりまで読んでいただけると、なんか一つの読み物のように感じていただけたりしたらとても幸いです。

ところどころ、不思議な言葉遣いがありました。二段落目の「どのようにも不思議なしかたで」や「誰もが知ってて」といった「い」抜きの表現があったり、四段落目の「そのはいってくるきかた」、「言葉にくみする」といった表現は、高校生にとってはスムーズに読み取れない気がしました。概ね解説の中で触れられているとは思いますが、これらも解答に際して結構重要な箇所だったりしましたので、演習の際にはちゃんと向き合い、こういった言葉遣いにも慣れていけるといいかもしれません。

ということで、今回もお疲れ様でした!

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