「あれ」の文脈(阪神タイガース的な意味で)

こんにちは。海藻サラダを戻している隙に、久々にコラムを書こうと思います。
最近入試問題を解いてばかりですが、受験生たちがシーズンに入る前に共テの解説を充実させておかねば……と少し急いでいるところに繁忙期もやってきて、まあそれはそれで大変ですが、ぼちぼちがんばっていきたいですね。。

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阪神が「あれ」しましたが

さて、先日ついに阪神タイガースが18年ぶりに「あれ」しましたね。私は特段阪神ファンというわけではないのですが、友人や世間がタイムラインで盛り上がっているのを眺めていました。

万が一何を言っているのかわからない人がいらっしゃるといけないので、「あれ」とは何かというとあれです。「優勝」です。知らない人にとっては、阪神ファンがなぜ「優勝」という言葉を「あれ」と呼んでいるのか、いまいちピンと来ないかもしれません。

「あれ」と呼ぶきもち

私も周りに阪神ファンがたくさんいる関西出身者なので、何となく気持ちはわかります。笑

阪神タイガースはそんなに強いというわけではない球団で(ごめんなさい)、今までもシーズン開始にめちゃくちゃ勝ったと思ったら途中で失速したり、シーズン途中で めちゃくちゃ勝ったと思ったら最後で勝ち切れなかったりしてきました。その度に阪神ファンは「もしかしたら今年こそほんまに優勝するんとちゃうか」と何度もしゃべってきたのですが、その度にやっぱり阪神は優勝しなかったわけです。

そうする中で、「優勝の話をしたら優勝しない」というジンクスが出来あがってきたようです。そこで人々は「優勝」という言葉を「あれ」と呼ぶようになったという流れだと思います。

この置き換えは結構徹底的なもので、巷で使われているというだけではなく、関西のスポーツ紙も一様に使っていますし、何なら阪神の2023年公式スローガンが「あれ」に掛けた「A.R.E」です。こういう「ノリには乗れ」という感じがいかにも関西という感じにも思えますね。笑

でも、関西の人にとって「あれ」が須らく「阪神の優勝」を指すわけではありません(そりゃそうだ)。では、どんな感じで「あれ」を断定しているのでしょうか。

「あれ」=「優勝」の文脈

一般的な語としての「あれ」は指示語なので、基本的に指示対象を求めます。国語の問題で、指示語の問題は前を見ろと教わった方もいらっしゃると思いますが、今回の「あれ」は「優勝」という言葉を使わないために用いられている言葉ですので、会話の前の文脈に「優勝」という言葉は出てこないでしょう。でも阪神タイガースを取り巻く人々は、ほぼ問題なくコミュニケーションを取ることができているように見えます。

ここで一つ定義のお話です。国語の問題を解く場合とは切り分けて考えていただきたいのですが、日常のコミュニケーションにおける(=会話分析・語用論等における)「文脈(コンテクスト)」という語は、結構広い意味を持っています。

文脈(コンテクスト)
発話解釈の際、聞き手が用いるさまざまな情報
(1) 物理的コンテクスト:発話が実際に行われる場面から得られる情報
(2) 言語的コンテクスト:先行する発話によって得られる情報
(3) 百科事典的コンテクスト:世界のさまざまな事項に関する一般的知識から得られる情報
(梶尾恭平「コンテクスト」;斎藤純男ほか(2015)『明解言語学辞典』p.97より)

つまり、我々が「あれ」が「優勝」であると判断する際に参照する文脈は、「発話者が阪神タイガースファン(もしくはそれに準ずる人)である」という事実(物理的コンテクスト)や、現在進行中の話題が阪神タイガースに関するものであるということ(言語的コンテクスト)、阪神タイガースが長らく優勝していないけど愛される球団であること(百科事典的コンテクスト)など、複合的なものであると言えます。

さらに、少しメタ的ですが「指示対象が明瞭ではないのに『あれ』という語を唐突に使っている」という事実も文脈足り得ます。「あれですよ、『あれ』。」と言われると、私たちは「あれってなんや……」という思考を逡巡します(この逡巡は自覚的でない場合もあります)。その結果、上述したような文脈を掘り返し、指示対象を「優勝」に定めることができる場合もあるかもしれません。

また、シンプルに「阪神タイガース関連の話題で『あれ』が『優勝』を指すことがある」という知識があれば、一番強力なコンテクストとなります。こうしたコンテクストの支えがあって、「あれ」は「優勝」であると断定されているのだと思います。

(ちなみに、国語の問題を解く際に意識する文脈は、(2)の「言語的コンテクスト」によるものとなります。与えられるのは課題文だけなので)

隠語性=コミュニティ性もあるよね

さて、こうして用いられる「あれ」ですが、これは隠語性もあると思います。

「隠語」は言語学では「俗語」の一種でして、俗語には「特定の社会集団のメンバーの間における秘密情報を保持させたり、集団メンバーの間における連帯感を強化させたりするなどの機能」があるとされています(朝日祥之「俗語」;同 p.138より)。

「あれ」を共有することで、阪神ファンの連帯感が強化されているかどうかと言われれば、なんかそんな感じもします。「あれ」で通じるのって面白いですからね。よって、「あれ」は単なる語の置き換えというだけでなく、一種の社会方言として通用していると捉えられます。

おわりです

今回は、「あれ」について考えてみました。

「あれ」が「優勝」として通用するための文脈は、言語的コンテクストに限らず、解釈の際に参照される多くの情報が含まれているということをお分かりいただけたのであれば何よりです。このような感じで、会話(コミュニケーション)は本当にさまざまな要素の上に成り立っているんだな~と改めて感じ入るものでございます。

何はともあれ、18年ぶりの「あれ」、おめでとうございました!

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