句点の話。

こんばんは。今回は句読点のうちの句点の話です。句読点、どっちがどっちか忘れがちですが、句点は「まる」の方です。

先日はかぎかっこの話を書きましたが、今回も「ことば」かどうかのギリギリなところを攻めていきたいと思います。

「まる」についてあまり考えたことがない人はぜひ読んでみてください。

目次

文字でのやりとり、「まる」使いますか?

皆さんは、最近の人たちが「まる」に「お堅い」印象を持っているという話を聞いたことがありますでしょうか(もしくは、実感として持っていますでしょうか? 私は実感としてやや「わかる」気持ちがあります

ネットを見回すと、メッセージでやり取りするカウンセリングでは「まる」は使わないというマニュアルがあったり、「まる」に関する簡単な論文も既にあったりします。

「打ち言葉」における句点の役割 : 日本人大学生のLINEメッセージを巡る一考察

https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/34125 (お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション)

私も、Twitterでつぶやく際は「まる」の有無についてちょっと考える瞬間があります。区切り記号としてあった方がいいなという場合、上述の「お堅い」印象にしたくないから無い方がいいなという場合など。

皆さんも特にネット上での文字コミュニケーションにおいて、「まる」を使うかの判断はされていますでしょうか。

どうして「まる」は堅くなってしまったのか

従来、「まる」は全くニュートラルな区切り記号だったのではないかと思います。それがどうして今や「お堅い」印象を持たせるようになってしまったのでしょう。

①「まる」を使わなくても改行で区切ればいいから

特にネット上の文字コミュニケーションでは、改行は必ずしも改段落を意味しません。「まる」を使わずに、1文ごとに改行して区切りを示すという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

改行と「まる」という、2つの文区切りを手に入れれば、その差異に目が向くのも当然です。そこから、「まる」の方の旧来性・正書性が顕在化してきたというのも考えられます。

②現代の多くの文字コミュニケーションは、従来の「書き言葉」とは規範性の程度が違うから

従来、言語のコミュニケーションにおいては、「話し言葉」と「書き言葉」という区分がされていました。
この区分も、単に音声媒体か文字媒体がというだけで明瞭に分けられるものではないのですが、その辺の委細は割愛します。

上に引用した論文のタイトルにもありましたが、それとは別に、昨今は「話すように打つ」「打ち言葉」という考え方もできます。(田中ゆかり(2014)「ヴァーチャル方言の3用法―「打ちことば」を例として」石黒圭・橋本行洋(編)『話し言葉と書き言葉の接点』:pp.37-55,ひつじ書房.)

テキストとして保存されるのに、規範性はより薄いという領域ができ、それによって新しい言語表現が生まれたのではないかと思えたり、「まる」がない文章表記がやりやすかったりするのかもしれません。

そんなこんなで、「まる」の任意性が高まり、その分「まる」のあるなしでニュアンスの違いが感じられるようになったのかな〜とも思います。

おわりです

今回は、最近の「まる」が昔とは違った印象をもたらしていることについて、柔らかめに考えてみました。

ネット上の言語変化は、私の修士論文のテーマでもあり、現在進行形で速い変化と研究が進む領域です。

「まる」のありなしという、ともすれば些細な(かつ、言語と言えるかビミョーなラインの)ことですが、そこにもコミュニケーションの妙が詰まっている気もするなと、なんとなく思います。

ではでは。

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