センター試験(共通テスト)国語 2019本試[2(小説)]解説

目次

解説

選択肢の吟味において、「×・△・?」を選択肢の該当箇所に付けていきます。×は「これはちゃうやろ」、△は「ちゃうかもしれん」、?は「びっみょ〜」って感じです。

問1

(ア)正答③

「お手のもの」は、その物事に関して習熟していて容易な様という感じかと思います。妹が「お手のもの」であるもの(畑仕事)が傍線部の前に配置されていないため、正答の「得意としていて」を、そのまま傍線部に入れるとやや不自然な文章になってしまいますが、辞書的な意味として最も近い(余計な意味が含まれていない)ため、さすがにこれ以外を選ぶことはできません。

(イ)正答①

「腹(肚)を決める」は、「覚悟を決める」「意思を定める」といったような意味となります。O君から、是政には月見草が川原いっぱいに咲いていると聞かされ、「私」は山も見られるし月見草も引いて来られるしで、あつらえ向きの行き先だと感じ、「是政に行く」という気持ちを固めたと読み取れます。①の「覚悟を示した」はやや近いですが、「示す」は表出なので、お腹の中で心を決める意味合いに近い「腹を決める」からは外れます。

(ウ)正答②

「目を見張る」はまぁ〜普通に目を大きく開くことです。今回は、一面に咲く月見草の様子を見て「私」が「目を見張っていた」わけですから、おそらくその光景(「私」がもともと思いを持っていた月見草が一面に咲いている光景)に心を動かされて見入っていたのだと推測できます。②以外の選択肢は、余計な意味が含まれている(①③④)か、「目を見張る」にしては弱い意味(⑤)です。

問2 正答③

野菜を育てる妹の手際の良さを見、「小さな菜園だが、作り始めると、妹は急に生き生きとしてきた」とあるように、「私」にとっての草花の世話と同じように、妹にとって菜園作りは心を慰めてくれるものであるように読み取れます。また、「自分だけ好いところを占領するのは気が引けたので」と傍線部内に含まれていますので、「私」が妹に対して気を遣っていることもわかります。この点を捉えつつ、余計なことを言っていない選択肢が正答となります。

選択肢の吟味

①「これからは一緒にたくさんの野菜を育てることで落ち込んでいた自分を励まそうとしている」が△です。選択肢は非常に人格的なを言っていますが、「私」が「妹を励まそうとしている」というほどに積極的な思いを持っていたとは読み取れません。また、六行目から「作るなら作って見よ」と言っており、「一緒に野菜を育てる」というつもりがあるとも思えません。

②「妹との関わりは失った月見草に代わる新しい慰めになるのでないかと思い始めている」が△です。「私」は妹が菜園を通じて慰められているな、と感じてはいますが「妹との関係が(『私』にとって)慰めになる」という旨は読み取れません。

③正答です。シンプルに気遣いって感じですね。

④「自分が庭を独り占めしていることを妹から指摘されたような気持ちになり」が△です。妹とのやり取りの中からは、特段そのような気持ちは読み取れません。

⑤「妹の姿に将来の希望を見出したような思いになり」が△です。希望を見出したとは言えませんし、この「将来の希望」が妹にとっての将来の希望なのか、「私」にとっての将来の希望なのかも判然としません。よくわからん。

問3 正答⑤

傍線部中の「それ」は、O君が「月見草の大きな株を手いっぱいに持って、あがって来た」様子のことを指しています。

「私」にとっては、もともと月見草を引いてくることが是政の訪問目的でした。一方で、O君は鮠を釣りに行くことが目的だったので、「私」からすると、道中は共にするにせよ、目的は異なる行程だったはずです。しかし、O君は道中も月見草のことを話題にしてくれたり、帰り際にも「月見草を引いててくれない?」と言ってくれたりと、「私」と月見草に気を配ってくれています(O君、良い人ですね!)。そんなO君が、「私」にとっては思いがけず、月見草を引いてくるという「私」の目的に便乗してくれ、「私」はそれを「よろこばしい」と捉えています。なんかおそらく、友達が自分の趣味に共感してくれて一緒に楽しんでくれた時の気持ちって感じでしょうね。

選択肢の吟味

①「自分の憂いが解消してしまうような爽快なものだった」が△です。ちょっと言い過ぎな気がします。「私」は顔がほころぶような気分ではいると思いますが、「憂いが解消する爽快な気分」とまでは言えません。

②「月見草を傷つけまいと少ししか月見草を取らなかった自分」が△です。六十行目以降を読んでいても、そのような「私」の心情は記述されていません。

③「その行動の大胆さは自分を鼓舞するような痛快なものだった」が?です。傍線部の「私」の「よろこばしさ」において、「短い時間で手際よくたくさんの月見草を手にして戻ってきた」ことに焦点があるとは思えません。

④「いかにも月見草に興味がない人の行為のようなほほえましいものだった」が△です。そんなほほえましさあるかい。O君はそれなりに月見草に理解を示しており、「私」はどちらかと言うとその点によろこばしさを感じています。

⑤正答です。この設問の選択肢全体を通して、O君が本当にどういう気持ちかはわかりませんが、こちらの選択肢は「私」にとってのO君の行動がよろこばしいものだったという点を適切に説明できていると思います。

問4 正答②

やや選択肢が長めで厄介です。一般的なストーリーでは「ありそう」な選択肢であっても、本文中の「私」が本当にそのような心情を抱いている(と読み取れる記述がある)かに忠実に進んでいく必要があります。

傍線部前後の心情についてなので、前後をちゃんと読み直しましょう。サナトリウムは始め、どの部屋にも明かりがついていなかったので、「人の棲まぬ家かと思われ」ていましたが、そのうちポツリポツリと明かりがついて、「建物が生きてきた」と述べています。それをきっかけに「私」は妻のことを思い出し、「寂しさがこみあげて来」、サナトリウムの周辺を歩いて「妻よ、安らかなれ」と心の中で言います。

正直、きっかけ(サナトリウムに明かりがつく風景)と「私」の心の動き(妻のことを思い出す、寂しさがこみあげてくる)の間に詳細な心情的プロセスを読み取ることは難しいかと思います。その後の行動(サナトリウム周辺を歩き、妻の平穏を祈る)はある程度普通な心の動きから来る行動っぽいので理解しやすそうです。

選択肢の吟味

①「忘れようと努めていた妻の不在」が△です。「私」が妻の不在を「忘れようと努めていた」と読み取る根拠が見当たりません。また、「今の自分にできることは気持ちだけでも妻に寄り添うようにすることだと思い直し」も△にしました。「私」は確かに妻のことを案じていますが、「自分にできることは案じることだ」と思っている(メタ認知をしている)とは読み取れません。あくまであるのは一次的な感情な気がします。

②正答です。全体的に、ただの本文の要約になっており、特に問題ありません。

③「妻もまた健やかに生活しているような錯覚にとらわれ出した」が△です。妻に思いを馳せていますが、妻が「健やかに生活している」と推測しているような記述はありません。「妻はどうしてるかなぁ」ばかりです。

④「朝から月見草をめぐる自分の心の空虚さにこだわり、妻の病を忘れていたことに罪悪感を覚え」が△です。まぁありそうな話ですが、今回の本文においてそんなことはありません。「妻への申し訳なさ」はどう頑張っても読み取れない内容かと思います。

⑤「妻がいつまでも退院できないのではないかという不安がふくらみ」が△です。妻のことを案じてはいますが、「いつまでも退院できないのではないか」とは述べられていません。

問5 正答①

「ここに至るまでの月見草に関わる『私』の心の動き」なので、本文中のさまざまな月見草の描写を振り返る必要があります。が、逐一読み直している暇はないので、「そんなこと言ってたっけ?」と引っかかる箇所があれば暫定で外していきましょう。

選択肢の吟味

①正答です。が、「憂いや心労に満ちた日常から自分が解放されるように感じた」に薄い?を付けていました(そこまで言える?と思ったため)。この点は、傍線部自体に含まれる「花の天国のようであった」という強い記述から許容されるのかな〜と思います。「天国」って、現世からの解放的な側面がありますし、「私」が眼前の風景を「天国」と表現していることから、ある程度「日常からの解放」性を許容してもいいかなと。あとこれはかなり些末な点ですが、「解放されように感じた」ではなく「解放されように感じた」というように現在形になっているのもポイントかな〜と思っております。結局この電車を降りた後に「私」は別に完全ハッピーにはならないと思うんですね。「解放された」ならその後も解放されてますが、(その時に)「解放される」なら、その時は解放されてる感じ、その後はまぁ不問かなと。その僅かな差に選択肢の機微があるのかもしれません。しらんけど。

②「持ち帰っても根付かないかもしれないと心配になった」が△です。橋番の老人から「なかなかつかないんだよ」とは言われていますが、それに対して「私」がどうこう思ったかは記述されていないので不明です。また、「庭に月見草が復活するという確信を得た」も△です。そこまで強い気持ちは書かれていません。

③「妻の病も回復に向かうだろうという希望をもった」が△です。そうだったらいいんですが。傍線部Dの前後では、正直なところ妻に関わる意識や心情が「私」の心象に上がってきているとは読み取れません。

④「サナトリウムの暗い窓を思わせる闇から、次々に現れては消える月見草に死後のイメージを感じ取り」が△です。ガソリン・カアに乗っている時の闇に、「サナトリウムの暗い窓」を連想しているとは読み取れません。また、「毎夜このような光景を見ている運転手は死に魅入られてしまうのではないかと想像した」も?くらいです。「死に魅入られる」ってカッコいい書き方ですが、ちょっとそこまで込み入った記述にはなっていない気がします。

⑤「自分と妻の将来に明るい幸福を予感させてくれた」が△です。最後まで、そこまでポジティブな予感はしていないと思います。残念ながら。

問6 正答④・⑥

④は入れたのですが、①と⑥でかなり迷って、えいやと①にしたら間違えてました。選択肢の吟味でどう迷ったかを書いておきます。

選択肢の吟味

①選びましたが誤りでした。「妹の快活な性格」が△なのかな〜と思います。「菜園を始める際の会話部分をテンポよく描き」はあまりハズレてないんじゃないかなと思っており。。。妹は、いざ菜園を作り始めてからは回復の兆しを見せていますが、菜園を始める際はそんなに快活じゃなかったということなんだと思います。まぁ、全体を通して妹が快活であるとは書かれていないというのもありますが、割と言動は快活寄りな気がして選んでしまいましたね。

②「体言止めの繰り返しによって、O君と一緒に是政に行く旅が『私』にとって印象深い記憶であったことを強調している」が△です。長く続いて記述されている是政への行程が、この数個の体言止めで印象的なことを示す記述になっているとは言えません。

③「カタカナ表記の擬音語・擬態語を使うことで、それぞれの場面の緊迫感を高めている」が△です。「ポクポク歩いていると」で緊迫感が高めるのは流石に難しいかと思います。

④正答です。最後場面で月見草の香りがする記述がありますが、もともと「私」の庭にあった月見草は匂いのしないタイプのものであったので、「月見草の香り」は「私」にとってそれまでの月見草との関係とは違う、新しい要素を示唆するものです。「月見草は匂いの有無がある」ことを重ねて読者に伝えておくことで、最後に匂いのある月見草が開いて「私」がその香りを嗅ぐという体験の新しさを印象付けることができます。分かりにくい人は逆に考えてみていただきたいのですが、「月見草には匂いの有無がある」「『私』がもともと親しんでいる月見草は匂いのないタイプのものだった」ことが前提として無ければ、「月見草の匂いを嗅ぐ」という体験は、そんなに大きな意味を持たない体験になりません?

⑤「『私』の状況が次第に悪化していく過程を強調する」が△です。それ以降の「私」の行動からして、「私」の状況が悪化していく」とは言えません。

⑥正答です。が、外しました。「私を迎えるように頭を並べて咲き揃っている」は確かに「私」の心理を間接的に表現していると思いますが、「建物は、窩をもった骸骨のように見え」はそこまで言えるかな〜って思い、①と比べて外したのですが、言えるらしいです。私はこの時の「私」が、どれだけ寂しめで空虚な心情を持っていたかを疑っていたのですが、八十一行目にも「村は暗く、寂しい」という見え方をしているので、ある程度「私」のものの見え方から推察できるという話なのかもしれません。

読解後のつれづれ

調べてみたところ、課題文(上林暁「花の精」)の初出は昭和二十二年(一九四七年)らしいです。結構砕けた日本語が出てきていて、あまり隔世を感じさせませんね。六十七行目の「あれから、どうだった?」「駄目々々(ダメダメ)。」とか、今の高校生でも同じやり取りしそう。

一方で、橋番のお爺さんがいたり、「ガソリン・カア」だったりで、「あっ、この話結構古いんだろうな」と思わせるものもあります。そういう混ざり、個人的には面白いなと思います。

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