京都大学 国語2019[四]解答例と解説

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総評

高校生からの質問の回答にしてはむずくねって思うのは私だけでしょうか。笑 なんか最初の方はちょっと質問者に気を遣ってる感じもありますが、後半は普通に持論語りが楽しくなってきてるやん……と思いました。

設問は三問、それぞれ三行と比較的ライト(?)な大問です。広く本文にまたがる設問はないので、各傍線部の守備範囲(解答根拠となる課題文の範囲)を意識して、内容を再構成しつつ解答を作っていきます。ところどころ解答の組み立てが難しい印象で、無理せず自分が分かる範囲で部分点をしっかり取りつつ、文として破綻していない解答を書いたほうがいいかもしれません。理系設問ですし……。

解答例と解説

問一

自分の好みや主観的傾向を他人に納得してもらいやすくするため、自分の考えを絶対的に正しいと思わず、筋道を立てて説明したり、正当化・検討・訂正したりといったことが行えるから。

「どうして手間をかけるのか」に対する端的な答えは、傍線部の少し前にある「他人を説得し、納得させるため」です。「どうして」は「何のために」と「なぜ」の両方を孕みますが、まずいったん「何のために」を考えてみた感じです。でもこれじゃあ字数が足りないので、「手間をかける」の内容についても触れている感じです。「自分の考えを筋道立てて説明したり、正当化につとめたり検討したり訂正したり」が「手間をかける」の中身ですが、これらをすることによって「他人を説得し納得させる」が達成しやすくなります。「納得してもらいやすくするために(具体的にはこういう)手間をかけられるから(手間をかける:傍線部)」と説明しているとご理解ください。

部分点

〈自分の好みや主観的傾向を他人に納得してもらいやすくする〉ため、〈自分の考えを絶対的に正しいと思わず〉、〈筋道を立てて説明したり、正当化・検討・訂正したりといったことが行える〉から。

「自分の考えを絶対的に正しいと思わず」は第三段落冒頭からとっています。自分の考えを絶対的に正しいと思っていると、「正当化につとめたり検討したり訂正したり」しませんし、そうすると他人に納得してもらいにくいことになります。これは筆者にとって「良い批評家」とは言えません。

問二

音楽批評は音楽的事物・音楽的現象に言葉をつけ名前を与えることだが、無性格で中性的な言葉で音を呼ぶとその特性を端的な言葉で言い表せず、批評の本義を諦めることになるということ。

比喩の説明ですね。「批評の降伏」とありますので、「諦める」という言葉を代わりに使いたいです。

前提として、第四段落冒頭の内容から、「端的な言葉で的確に特性指摘ができる」のは「名批評家(→優れた批評)」であると言えます。

その上で、傍線部が含まれる段落を頑張って組み直していきましょう。筆者は「音を言葉におきかえる過程で、『レッテルをはるやり方』からまぬがれるのは至難の業となる」と述べていますが、「レッテルをはる」は比喩的なので、解答にはあまり含めたくない気分がしました。そもそも、言語は本来連続的な世界に恣意的な区切り目をつけて切り分ける働きもありますので、「音」という連続的な現象を「言葉」にする時点で、本来的に何らかの「レッテルをはる」構図から逃れるのは(至難の業ではなく)不可能だと私は思います(この内容は本文内容ではなく私の考えの領域に入ってしまっているので解答には含めません)。

そういうわけで、「音楽的現象」に言葉をつけるとは、「(ある何らかの)言葉」というレッテルをはることとなります。結局レッテル貼りなんだったら、どういうレッテルをはるかが大事ってことになってきます。その際に、「美しい」「上手だ」といったような「無性格な中性的な言葉」は、最も「何も言っていない」に近く、「端的な言葉で的確に特性指摘」ができていないことになります。これは良い批評としての物言いを諦めていることに他なりません。

部分点

〈音楽批評は音楽的事物・音楽的現象に言葉をつけ名前を与えることだ〉が、〈無性格で中性的な言葉で音を呼ぶと〉〈その特性を端的な言葉で言い表せず〉、〈批評の本義を諦めることになる〉ということ。

「批評の本義を諦めることになる」は、「降伏」の比喩表現を再解釈したものなので、いろいろな表現が許容されると思います。

問三

音楽批評は音楽作品に関するものであるが、作品の解説ではなく、それ自体が他の芸術と同様に享受される独立した言語作品であり、解釈を必要とするものであるから。

課題文末の二段落を組み直していきます。「批評を読めば作家なり作品なりがわかりやすくなるだろうという考え」は誤解であり、「批評は解説ではない」と述べられています。では何かというと、「批評はそれ自身、一つの作品」です。批評は作品として、役に立つのではなく、さまざまな在り方で享受されるために「そこにある」ものです(そう考えると、批評文を批評する文は確かにありそうですよね。古文の和歌があり、和歌を論ずる歌論があり、歌論を論じる評論があってもいいって感じ?)。よって、批評の効果は「わかりやすくする」ではなく、それ自体が「読まれる→反応される」(これを「解釈する」と言い換えています)ものであると言えます。

部分点

〈音楽批評は音楽作品に関するものである〉が、〈作品の解説ではなく〉、〈それ自体が他の芸術と同様に享受される独立した言語作品であり〉、〈解釈を必要とするものである〉から。

「音楽批評は音楽作品に関するものである」は、「誤解」の発生を助長する要素として入れていますが、そんなに大事ではないかな〜と思います。マストではない。

「享受」という言葉は結構効いていると思いますが、「読まれ、刺激し、〜説得に成功し等々」までをぎゅぎゅっとしました。便利な言葉なので使えてくださ〜い!

読解後のつれづれ

今回は音楽批評に関するところへの言及でしたが、いろんなところに言える話やな〜と思いながら読んでいました。三段落目の「自分がいつも正しいと限らないことをわきまえ」ることとか、いつも持っておきたい態度です。私もまたそう。なるべくよく考えるようにはしていますし、丁寧に説明するようにはしていますが、いつまでいっても正しさの担保にはビクビクし続けています。

もう少しサイトが発展したらですが、私の解答例に関して「ここ違くね?」って思った人がいれば投稿してもらったり交流したりできる場も作れればいいな〜って思います。そんなまぁ夢も広がりますが、今回もお疲れ様でした!

この年の他の大問の解説

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