京都大学 国語2020[二]解答例と解説

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総評

文系設問に相応しく、結構難しい大問かと思いました。本文自体は比較的平易で、順番に読み進めていきやすいものでしたが、傍線部と設問による展開のさせ方がよくわからん。本文全体から背景を推察するのはするのですが、結局のところ解答根拠としては数文であることが多い感じで、設問や解答に関わらない箇所も結構ある印象です。

情報密度の薄いところから井伏鱒二の人となりを組み上げておいて、それを元に結局は短い記述から要素を付け加えて解答を膨らませていくというプロセスが必要な気がします。たいへんだ〜。

解答例と解説

問一

太宰治に傾倒していた筆者は、井伏鱒二と話していると、太宰が持っていた雰囲気の幾らかは井伏から受け継いだものだと実感でき、太宰も井伏からさまざまなことを学んだという言葉通り、井伏はかつての太宰を自然と思い出させる存在だったから。

傍線部の前二文より解答作成をします。「井伏を前にすると太宰が身近にいるような気がする」という趣旨なので、井伏がどのように太宰を連想させるのかを考えます。

大きくは二つで、「雰囲気」と、「太宰が井伏から教えてもらったことがあること」です。これらを一つ一つ書いていればまぁOKかと思います。

解答例末の「井伏はかつての太宰を自然と思い出させる存在だった」ですが、これは傍線部の記述から補ったものです。「太宰さんの身近にゐる気にされる」→「太宰のことを自然と思い出させる」としています。

部分点

〈太宰治に傾倒していた〉〈筆者は、井伏鱒二と話していると〉、〈太宰が持っていた雰囲気の幾らかは井伏から受け継いだものだと実感でき〉、〈太宰も井伏からさまざまなことを学んだという言葉通り〉、〈井伏はかつての太宰を自然と思い出させる存在だった〉から。

「太宰治に傾倒していた」は、マスト寄りではないですが、「井伏から太宰を抽出できる」ことの前提条件として、含められると尚良いという感じでしょう。

あと、なんとなくの気遣いですが、解答内で初出の名前だけフルネームにしています。問二以降は名字のみにしています。まぁこれはどっちでもいいと思いますが……。

問二

井伏は理屈で話すのではなく自身の穏やかな感情に沿って話す人であるため、自然と井伏の持つ雰囲気に話者側が同化されるような感覚があるから。

「気持が吸ひ込まれてゆく」理由を短くまとめます。「井伏さんの話には目だたない吸引力があつて、〜こちらが同化されてゆく」が直接の解答根拠です。直後の「気持で話す人だからであらう」も、理由として結びつきが強いので含めたいです。「頭」は「理屈」とし、「気持」を「穏やかな感情」と言い換えています。理屈で話が進んでいくのではなく、「穏やかな感情」で柔らかく話すため、自然と井伏の雰囲気に同化していくということですね。

部分点

井伏は〈理屈で話すのではなく〉〈自身の穏やかな感情に沿って話す人であるため〉、〈自然と井伏の持つ雰囲気に話者側が同化されるような感覚がある〉から。

問三

筆者にとって、井伏はどんな話でも味のある小話にしてしまう魅力のある人だが、筆者が媒介することで、つまらない自分の文章が井伏の魅力を薄めてしまうのではないかと危惧しているということ。

なかなか味のある比喩の問題です(芳醇な酒だけに?)

「井伏さんといふ芳醇な酒」は、傍線部(3)の前段落にある、「井伏さんの話は、〜そのままで滋味ゆたかな随筆や小品になる感じ」からとります。ただ今回は傍線部自体の記述に沿う形で、「井伏鱒二の文章」が魅力的だという書き方ではなく、「井伏鱒二という人」が魅力的だという書き方をしました(もちろんその切り分けは難しいですが)。

「私といふ水」は、あえて「つまらない自分(=筆者)の文章」としました。「芳醇な酒」と対置された「水」はニュートラルな媒体ではなく、マイナスの印象を伴わせているかなと思ったためです。ちょっと攻めてる感じもしますね。みなさんどう思われますでしょうか。

「井伏の魅力を薄めてしまうのではないかと危惧している」は割とそのままです。「危惧している」は自分で引っ張り出してきましたが、こういう言葉が出せると解答のまとめ力が上がるので、語彙力こそパワー(もしかして:力こそパワー)ですね。

部分点

筆者にとって、〈井伏はどんな話でも味のある小話にしてしまう魅力のある人〉だが、〈筆者が媒介することで、〈つまらない自分の文章が〉井伏の魅力を薄めてしまう〉のではないかと〈危惧している〉ということ。

上述の通り、「つまらない自分の文章」は攻め気味なのでマスト要素ではないかと。

また、「危惧」は「心配」とかでもいいと思います。傍線部原文の末尾は「思ふ。」で、これは「筆者(=本文中の「私」)が思う」訳ですが、設問において「説明せよ」と言われているのは私たちです。よって、筆者の一人称視点な「(私は)思ふ」を受けて、私たちは「(筆者は)危惧している」に直さないといけないということですね。

問四

筆者にとって、井伏は恰幅があり若々しく、とても魅力的な風貌をしていて、当人の野暮な発言も不相応に思われるほど言動も洗練されており、それらの若さと魅力が井伏の作品の艶として表れているように思えるほどだということ。

ベタ褒めですね。笑

内容としては三点含めており、①井伏の外見的魅力②傍線部直前の野暮な発言が不相応であること③魅力が井伏の作品に表れていること、です。

①は「恰幅がある」「衰えぬ若さ」が含まれます。傍線部の前後に分かれていますが、まとめてもいいと思います。

②は芥川龍之介に関する発言を受けて、「殊更に自分を人に野暮つたく印象づけようとしてゐる」からとります。「殊更に」は「わざわざ」「とりわけ」といった意味ですが、野暮な発言が不相応に目立つほど、「スマート→言動が洗練されている」と捉えています。

③は、そういった魅力が井伏の「作品の艶になつてゐる」からとります。

部分点

筆者にとって、〈井伏は恰幅があり〈若々しく〉、とても魅力的な風貌〉をしていて、〈当人の野暮な発言も不相応に思われるほど〉〈言動も洗練されており〉、それらの〈若さと魅力が井伏の作品の艶として表れている〉ように思えるほどだということ。

文末表現ですが、こちらも傍線部に忠実にすることを優先し、(井伏の作品についての説明ではなく)あくまで井伏という人間についての説明であるような表現にしてみました。結局言われているのは「井伏鱒二がスマートだということ」ですので。

問五

物に執着しないところがある井伏が子供の頃に遊んでいたという古いメンコを見て、筆者も心が和らぎつつ、自分の幼少時代と、自分よりも長い井伏の来歴に思いを馳せる気持ちが湧いてきたということ。

初読では「えぇ〜?」という感じでした。笑 文系設問とはいえ、なかなかツラい問題ですね。いやいや、「泉のやうに湧き出てくる」とか言われましても……って感じです。
にしても四行あるので、ある程度情報を入れないといけません。さてはて。

文章全体を見回す試みも行いましたが、どうにも取っ掛かりがない。ので、とりあえず傍線部(4)以降を文章中の系列順に整理していくより他ないですね。

井伏鱒二は、「住居にあまり凝る気持はない」「日常も、凡そ簡素を旨としてゐる」とされています。また、「文房具なども、とりわけて好みに執することもない」ようです。机も愛用してるし、ゴッホの絵に関しては気に入っているようで、多少こだわってんじゃんとも思いましたが、どちらかというと物への執着が薄い方の記述が明瞭です。

そんな井伏が、引き出しから取り出してきたのが幼少時代に遊んだというメンコです。物への執着が薄いのに、このメンコはわざわざ生家から持ってきたんですね〜。井伏はこれを見ていると「柔らいでくる」と言っており、筆者も(井伏への傾倒具合からも)その発言に引き寄せられ、「柔らいで」いることは推察できます。

また、傍線部の直前「私が子供の時分に流行つたものよりも、もう一つ時代がついてゐる」を頑張って読み解きます。これが「湧き出てくるもの」の直接の素材だと捉えるより他ないからです。「もう一つ時代がついている」はちょっと変な表現ですが、筆者よりも井伏の方が高齢である推察はできますので、「自分よりも一定長い時代を感じさせる」とかだと思います。ここでは、「自分の幼少時代」への言及と、そこを基準として「それよりも長い井伏の来歴(歩んできた歴史)」を感じていると捉えるのが精々なんじゃないかなと……。それ以外、読める?(がんばりましたが……笑)

部分点

〈物に執着しないところがある〉〈井伏が子供の頃に遊んでいたという古いメンコを見て〉、〈筆者も心が和らぎつつ〉、〈自分の幼少時代〉と、〈自分よりも長い井伏の来歴に思いを馳せる〉気持ちが湧いてきたということ。

やや傍流ですが、「弄んだ」は「遊んだ」にしています。筆者が書く「弄ぶ」と、現代の我々にとっての「弄ぶ」は違いそうな感じがし、筆者の意図する「弄ぶ」は現代で言えば「遊ぶ」の方に近いんじゃないかなと思ったからです。

読解後のつれづれ

近代文語文だけあって、ところどころに突っかかる表現がありましたね。第一段落中の「その言葉に太宰さんが一寸表情をすると」もあんまりよくわかりませんでした。たぶん、「顔を曇らせる」とか「表情を固める」とかいう感じなんじゃないかしらん。

また、こちらは比較的一般的かもしれませんが、課題文終盤のゴッホの絵に関する段落で「気に入つたので、無心してきた」も難しいですね。私も調べましたが「遠慮せず物品、金銭をねだること」だそうです。

私もまだまだということがわかりますが、特に近代文語文はこのような感じで、言葉の幅をさらに強力に広げてくれるのも事実です。今とは少し違うけど、今の言葉との連続性は古文よりは強いですから。

私も解説を書く中で、時折むずかしめの言葉をあえて使うこともございます。もしわからんなって思ったら、ちょっとだけ別タブを開いて調べてみてください。あともし使途が間違ってたら教えてください……。

ではでは、今回もお疲れ様でした!

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