京都大学 国語2020[三]解答例と解説

目次

総評

文系大問にしては比較的取り組みやすい難易度感でした。現代文が難しめだったので手加減されているということでしょうか……。

古典文法的に少し込み入った要素がある箇所や、よく問われるポイントが含まれている箇所はすかさず傍線部もしくは解答根拠にされている印象です。しっかり文法事項も押さえ、逐語訳のうえで設問の記述として盛り込めるところを補っていくという意識で、細かい点の取りこぼしを防げるかが分かれそうです。難度が高くないからこそ、記述内容が「なんか大体合ってる」ではなく、細かい文法事項まで「分かってるぞ」というアピールができる解答を作って、細かな点を取り切るところまで求めたいですね……!

解答例と解説

問一

会って言葉を交わせば、恋人を亡くしたあなたの悲しみが慰められることもあるのではないでしょうか。私のことを取るに足りないものだとは思わないでほしい。

「語らはば」は「未然形→ば」なので順接仮定条件です。「なぐさむことも」は、「恋人を亡くした悲しみが慰められること」と補いました。「ありやせむ」は、「ありましょうか」が直訳ですが、「あるのではないでしょうか」とすると繋がりが良くなりそうです。
「ありやせむ」の「む」は終止形もしくは連体形ですが、たぶん終止形な気がするので、ここで一度訳文としても切っています。別に切らなくてもいいとは思います。

「言ふかいなくは思はざらなむ」は、おそらく「ざらなむ」が問いどころです。作問者がこんなん見たら問題にしたくてしゃーないと思います。「ざらなむ」は「未然形+なむ」なので、他に対する願望の終助詞「なむ」で、訳語は「〜てほしい」です。京大受験を考える文系の方には不要な釈かもしれませんが、もし「ざなむ」であれば「連用形+なむ」なので、連用形接続の強意の助動詞「ぬ」未然形+未然形接続の推量の助動詞「む」終止形となり、「きっと〜だろう」が定訳となります。この理解が追っつかない方は古典文法をちゃんと復習した方がよいかもです。

よって、「言ふかいなくは思はざらなむ」を直訳すると「取るに足らないものとして思わないでほしい」となります。ここに、「私(宮)のことを」を補っています。

部分点

〈会って言葉を交わせば〉、〈恋人を亡くしたあなたの悲しみが〉〈慰められることも〉〈あるのではないでしょうか〉。〈私のことを〉〈取るに足りないものだ〉とは〈思わないでほしい〉。

補った箇所は「恋人を亡くしたあなたの悲しみが」と、「私のことを」です。この二点は逐語訳ではないため、概ね方向性が合ってたらOKかと思います。

問二

恋人を亡くした自分の悲しみは声をあげて泣くしかないほどのもので、宮が来訪しても何も言うことができないであろうため、来訪しても仕方がないと婉曲的に断る気持ち。

「女」の和歌と、設問文中に引用されている和歌で共通する内容は、「身の憂きことぞ言ふかひもなき」「何事も言われざりけり身の憂きは」です。女はここを分かりやすくするために「生ひたる蘆」というワードを出しています。

当初、本文中にある女の和歌の解釈も解答に盛り込んでいたのですが、そっちはそんなに要らなさそうです。というのも、設問は「傍線部(2)は女のどのような気持ちを伝えようとしたものか」なので、あくまで「傍線部(2)は」に忠実に考え、「生ひたる蘆」から導かれる設問文中の和歌に焦点を当てて考えた方が良さそうだからです。

マスト内容は先ほど挙げた「何事も言われざりけり身の憂きは」です。「女の悲しみは何も言えないくらいつらいものだ」という感じでしょうか。また、和歌の後半「生ひたる蘆のねのみ泣かれて」の「ね」は掛詞ですね。これも作問者からすれば問題にしてぇ〜ところです。「(蘆の)根」と「(泣き声の)音」がかかっています。よって、「泣き声をあげるばかりで」とかになります。

なんとも言えない話ですが、最初は「寝」がかかってるのかな〜と思っていました。「泣き寝入るばかりだ」とかにすれば「何事も言はれざりけり」にも合うので、これでもいけるんじゃね、とも思うのですがどうなんでしょう。。。

部分点

〈恋人を亡くした自分の悲しみは〉〈声をあげて泣くしかないほどのもの〉で、〈宮が来訪しても何も言うことができないであろう〉ため、〈来訪しても仕方がないと婉曲的に断る〉気持ち。

「恋人を亡くした自分の悲しみ」は、「身の憂きこと」の中身です。「来訪しても仕方がないと婉曲的に断る」は、傍線部の「かひなくや」から解釈しています。宮が「私のことを言ふかひなくは思わないでほしい」と言った一方、女は「私の悲しみは言ふかひないものです」「生ひたる蘆……ということで、いらしていただいても甲斐のないものです」と返し、来てもしゃーないと言っている感じですね。

問三

返歌で宮の来訪を断ったのに宮が訪れたため女は困惑したが、居ないと申し上げることもできず、昼に返事をしているので家にいるにも関わらずお帰りいただくのも薄情だと思い、少しはお話を交わそうと思った。

四段落目(課題文最終段落)の冒頭から、宮が結局凸ってくるシーンになりますが、ここの「女いと便なき心地すれど」から、「ものばかり聞こえむと思ひて」までを訳していく感じになります。

「便なし」は(私はこう覚えているって意味で)「便利がない」ので、「不都合だ」「心に合わない」とかで訳せます。今回は、「来訪を断ったのに宮が来た(と従者が伝えた)」という前提があるため、「困惑した」としています。
「『なし』と聞こえさすべきにもあらず」は、「居ないと申し上げることもできず」です。「べし」を可能で訳しています。
「昼も御返り聞こえさせつれば、ありながら帰したてまつらむも情けなかるべし」は、「昼に手紙の返事をし申し上げているので、自宅にいると分かられているのに宮を家に帰らせ申し上げるのも薄情だろう」です。せやな。
最後の「ものばかり聞こえむ」は「何かしら申し上げよう」が直訳ですが、「お話しよう」として良いと思います。

部分点

〈返歌で宮の来訪を断ったのに宮が訪れたため〉〈女は困惑した〉が、〈居ないと申し上げることもできず〉、〈昼に返事をしているので〉〈家にいるにも関わらずお帰りいただくのも〉〈薄情だ〉と思い、〈少しはお話を交わそう〉と思った。

「返歌で宮の来訪を断ったのに宮が訪れた」は「困惑」の背景を説明するものです。「便なし」を説明するうえであったほうがいいと思いました。

問四(3)

世の中の人が宮をもてはやして言うのでそう思えるのだろうか、宮は並一通りのお姿ではなくたいそう魅力的である

前半がちょと難しめかもしれません。

「世の人の言へばにやあらむ、なべての御さまにはあらずなまめかし」を直訳すると、「世の中の人が言うので、であろうか。並一通りのお姿ではなく魅力的だ」となります。ここから、前半部分を補います。「宮の姿が魅力的に見えるのは、世の中の人が宮のことをもてはやして言うからなのだろうか」という文脈が繋がるように考え戻していくという感じですね。

「にやあらむ」をちゃんと逐語訳してから考えることができたかによって、解答作成の精度が分かれる設問な気がします。文法と解釈の両刀遣いという感じで、いい設問ですね〜!(誰目線?)

部分点

〈世の中の人が〈宮をもてはやして〉言うので〉〈そう思えるのだろうか〉、〈宮は並一通りのお姿ではなく〉たいそう〈魅力的である〉

「御さま」は、「ご容貌」とかでも良いと思います。「姿」とすると少しマイルドにはなりますが、ここは明らかに「見た目がカッコいい」という話をしているので、「ご様子」とかはちょ〜っと外れるかもしれません。

部分点にはしていませんが、「たいそう」はなんとなく補いました。「並一通りではない」ので「たいそう」を補ってもいいと思ったのと、「並一通りのお姿ではなく魅力的だ」とするとちょっと言葉足らずでいかにも古文訳っぽい(逐語訳しすぎだ)なというような気持ちがあったので。。。

問四(4)

私は古風でいつも屋内に引きこもっている身であるので、このような月の明るい妻戸に座っているのは慣れておらず、とてもきまりが悪い気持ちがするため

基本的には逐語訳していけば大丈夫です。

「古めかしう」は私も初読でいい感じの訳を出せませんでした……(かなしい)。宮が自分のことを「古めかし」と言っているので、当初は「若くなく」としていたのですが、調べて「古風な」と出てきたので、「それだあ〜(しみじみ)」と思いました。笑

「奥まりたる身なれば」は「引きこもっている身であるので」、「かかるところに居ならはぬを」は「このようなところに座っているのに慣れていないため」、「はしたなき心地」は「きまりが悪い」「居心地が悪い」とかになります。一連として、「このような月の明るい妻戸に座っているのはきまり悪いので中に入れてくださいな」という意味になります。

「きまりが悪い」は結構便利なので覚えておいてほしい日本語です。現代語ではあまり使いませんね……。ここで言う「きまる」は、「ぴたっとはまる」に近いかと思います。その場の空気や状況にはまっていれば「きまっている」状態で、そうでなければ「きまりが悪い」です。よって「居心地が悪い」とかに繋がります。
大阪のおっちゃんとかが言いそうな「お兄ちゃん、きまってるねぇ〜」とか、料理講座で時々ある「こうすれば味がきまります」とかも関係がある気がします。う〜ん、そのうち考えてみます。

部分点

私は〈古風で〉〈いつも屋内に引きこもっている身であるので〉、〈このような月の明るい妻戸〉に〈座っているのは慣れておらず〉、〈とてもきまりが悪い気持ちがする〉ため

「かかるところ」を「このような月の明るい妻戸」としていますが、そのまま「このようなところ」でも耐えではあるかな〜と思います。

細かいところですが、「居る」は「座っている」が定訳ですし、実際宮は座っているので明示した方がいいでしょう。「居ならふ」は複合的な動詞ですが、「ならふ」が「習う」であることから、「習熟していない→慣れていない」としました。

また、細かいところですが各要素の繋げ方として、傍線部は「〜なれば、〜ならはぬを、〜心地するに(、〜据へたまへ。)」となっています。少なくとも、「〜なれば」と「〜するに」は、「〜ので」「〜ため」と訳した方がよさそうです。ゆーて「ならはぬを、」の「を、」も「〜ため」とかで訳したい感じです。でも理由・根拠の表現がこんなにも続くのはちょっと解答として読みづらい感じもしたので、「〜ならはぬを、」は「慣れておらず、」とニュートラルな連用接続をさせてみ、「〜するに」に繋げました。まぁ〜そこまで考えなくてもいいと思います。

読解後のつれづれ

結局イケメンならええんか!ほだされとるやんけ!って思いました。笑

本文では、冒頭寄りの女の返歌について、上の句の切れ目が少し気になりました。五七五で区切ると「なぐさむと/聞けば語らま/ほしけれど」となる気がするのですが、「まほし」が切れてますよね?
私は和歌や古語にそこまで詳しい人ではないのでよく知らないのですが、こんな感じで「まほし」のように通常一つの助動詞として扱っている語の中に句の切れ目が来ることって他にもあるんでしょうか。なんか考える範囲では、「ほしけれど」は「欲しけれど」として立っている感じがしますし、「まほし」も「ま/ほし」のように、この間に潜在的な切れ目があるのかな〜とか思ったり、「まほし」の成り立ちに関わるのかもしれません。詳しい人がいたら教えてください。

まだまだ俺は何も知らねえ……と思ったところで、今回もお疲れ様でした! ではでは。

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