京都大学 国語2021[二]解答例と解説

目次

総評

いや〜近代文語文! 近代文語文じゃないか!生きていたんだね!と思いました。笑

私が入試を受けて以来、あまり京大の入試に触れていなかったので知らなかっただけなのですが、やっぱ現代文で近代文語文を出す大学なんだなぁ〜という思いです。私が受験生だったころは、「最近全然出てないけどもしかすると出るかもしれないから一応やっとくか」って感じで1~2問くらい解いておくというくらいの雰囲気でした。

とはいえ、本文自体の難度が高いというわけではありません。京大を受けるなら普通に読めてほしいくらいの文章なので、近代文語文に慣れてないよ〜って人は、もうちょっと古文に習熟するのがいいかと思います。古文が読めたら現代文に直せますし、古文よりはよっぽど読みやすいですし。

ただ、設問はところどころ奇問寄りなものも含まれます。文系大問なので仕方ないかもしれませんが、いろんな内容を総合して考え、記述に落としこむ力を付けていきましょう〜!

解答例と解説

問一

戦時下の空襲では場所を問わず多くの死者が出ており、一人の少女が直撃弾で亡くなっても、珍しいこととは思われなかったから。

それほど難しくはありません。「さふいふ死体は(中略)おそらく至るところに、ころがつてゐたのだから」が直接的な解答箇所です。

ただ、解答の完結性を意識して、傍線部「後日の語りぐさになるやうなことではない」の主語(主題)である、「一人の少女が直撃弾で亡くなること」を含めています。

解答の完結性
①解答を一文とする場合、傍線部に対する問を答える上で必要な主述関係をはじめ、一文として自立するための要素が含まれている
②解答内に指示対象が含まれない指示語を使っていない

今回は①より、「場所を問わず死者が出ており、少女が亡くなることも珍しいことではなかったから(後日の語り草にならない)」としているということです。「少女が亡くなることは」の内容が無いと「場所を問わず死者が出ており、珍しいことではなかったから」となりますが、解答として主語(主題)が穴抜けになっている印象です。まぁなくても丸ごとバツにはならないと思いますが……。

部分点

〈戦時下の空襲では場所を問わず多くの死者が出ており〉、〈一人の少女が直撃弾で亡くなっても〉、〈珍しいこととは思われなかった〉から。

「戦時下の空襲では」もなくても耐えそうですが、こちらも解答を一文として立たせるためにあった方がいいと思います。解答は、一文で概ね「どういう状況で、何を言っているかわかる」ものにしないといけません。今回の内容に答える際は、「少女が直撃弾で亡くなる」という状況背景として「戦時下の空襲」はあった方が分かりよいというイメージです。

問二

警報が鳴らない朝には、歌声で筆者に束の間の安息を与えていた隣室の顔も知らない少女も、他の多くの犠牲者同様、気の毒にも空襲の直撃弾に打たれて亡くなったということ。

比喩の問題です。こちらもそんなに難しくはありません。「少女(←カナリヤ)が直撃弾に打たれた」が核になりますが、少女が「カナリヤ」とされている理由と、「あはれな」「もまた」などをちゃんと盛り込んでいきましょう。

「少女」は主には「歌声で筆者に安息を与えていた」という点で「カナリヤ」と喩えられています。「もまた」は、「他の多くの犠牲者同様」として盛り込みました。「あはれな」は「気の毒にも」と副詞みたいな感じで含めていますがどうでしょうか。

部分点

〈警報が鳴らない朝には、歌声で筆者に束の間の安息を与えていた〉〈隣室の顔も知らない少女〉も、〈他の多くの犠牲者同様〉、〈気の毒にも〉〈空襲の直撃弾に打たれて亡くなった〉ということ。

「隣室の顔も知らない少女」は、なるべく短い字数で少女の基本情報を盛り込んだつもりです。

「気の毒にも」は最初「不運にも」と書いていました。これは、「雷に打たれる」という比喩から引っ張り出したもので、雷に打たれるって天災なので、「不運さ」もあるかな〜と思った次第です。直撃弾もそうですね。ただ、その要素もある程度持たせながら「あはれな」をしっかり説明した方が良さそうだと思い直して「気の毒にも」としました。

問三

筆者は、亡くなった隣室の少女の噂や解釈にも深く関心を持たなかったように、自分が空襲の直接的な被害を受けていないことを頼りにし、戦争という周囲の現実にも直接的な感覚を持たずに過ごしていたということ。

いきなり難しくなります。私も最初イマイチわかんね〜と思いました。笑

「当時」が含まれているので、戦時中の筆者の視点にある程度限定して良さそうです。主な内容としては2点で、「少女の死後の噂話にも関心が薄かった」「それ以外の戦時の現実も、直接自分と繋がる世界の出来事と捉えていなかった」です。

筆者は、隣室の少女が亡くなって、少女に関する噂や解釈が流布しても、「不要であつた」としていますし、少女の死が「不吉の前兆」のように思われたことも「ぢきにわすれ」ています。隣室の少女の死という、割とニアミスの死でも、そんなもんとして捉えていたって感じです。

また、次段落の「すだれをすかして見た外の世界の悪口をいつて笑つた」が2つ目の核となります。直前に、「まだ焼けていない現在をはかなくも恃んで」とあるので、「まだ自分に直接的な被害を受けていないことを頼りに」、戦時中(=当時)でも見るもの聞くもの(=周囲の戦時中の状況)を、隣室の少女に対する態度同様、すだれにすかして(直接的ではない形で)見ていたって感じです。自分はまだ直接的な被害を受けていないから、戦時中の周囲に関しても、なんかそんなもんだよなってちょっと他人事みたいに捉えていたという感覚でしょうか。

部分点

筆者は、〈亡くなった隣室の少女の噂や解釈にも深く関心を持たなかった〉ように、〈自分が空襲の直接的な被害を受けていないことを頼りに〉し、〈戦争という周囲の現実にも〉〈直接的な感覚を持たずに過ごしていた〉ということ。

結局、「隣室の少女の死」も、「すだれをすかして見た外の世界」と一緒です。運良く、まだ被害を受けていないので、うっすらと別の世界のような気持ちがあったわけです。おそらく自分の家が燃えるまでは、ですが。

問四

東京の町が全て焼け落ちるような空襲で、歌を読む悪癖がある筆者自身が焼け残ったことと、筆者の家の古本の山がすべて燃えてしまうほどの火事で古今集の一ページだけが上手く焼け残ることの象徴的一致は、合理的にはあり得ないほど辻褄があっていたから。

難しいな〜と思いました。「これははなしができすぎてゐて」の「これ」をどこまで捉えるかという話です。

普通に考えたら、「古本が全焼する火事で、古今集の一ひらだけ焼け残るのは、合理的に考えておかしいから」みたいな感じになると思います(私もそうでした)。が、それだとさすがに四行埋まらなさそうなんですよねェ……。ということで、もうちょい広げられないか考えてみましょう。

「話が出来すぎている」という言い方と、傍線部後の「人生の真実」から頑張ってみます。ここで言う「人生の真実」とは、「東京の町のすべてが一夜に焼けおちた」にもかかわらず、筆者が焼け残り、人生が継続されたという事実かと思います。その事実と、Aの話を合算して、「出来すぎている」としているわけで、それは「古本の山がぞつくり灰になつた」のに古今集の一ひらが焼け残ったことと、東京の町がすべて焼け落ちたのに、(歌を詠む悪癖がある)筆者が焼け残ったことの、奇妙な相似関係なのだと思います。これは合理的に考えて、さすがにおかしいんだけど、でも筆者が生き残ったという事実と、ウソをつくとは思えないAの話から、こんな感じのことを考えざるを得ない……という感じですね。

部分点

〈東京の町が全て焼け落ちるような〉〈空襲で、〈歌を読む悪癖がある〉筆者自身が焼け残ったこと〉と、〈筆者の家の古本の山がすべて燃えてしまうほどの〉〈火事で古今集の一ページだけが上手く焼け残ること〉の〈象徴的一致〉は、〈合理的にはあり得ないほど辻褄があっていた〉から。

「象徴的一致」はかなり密度を上げるために引っ張り出しています。「相似性」とかでもとても上手く表現できると思いますが、とりあえず構造が一致していることが述べられていたら上出来かと思います。

「辻褄があっていた」は少し難しいですが、なかなかこれ以上の書き方を思いつきませんでした。。。「一致度が高かったから」とかでもいいんでしょうか。「合理的に考えてあり得ない」が取れていれば最低限OKかもしれません。

問五

戦時中、歌声で安息をもたらしてくれた隣室の少女が一度も顔を見ないまま亡くなってしまったことや、戦後に旅先で心を動かされた藤の花にも手が届かなかったことから、筆者は自分が心惹かれる事物とは直接的に触れ合えないような運命になっているようだと感じたということ。

なんとも言えない問題です。これは答えを出せるんだろうかね〜って思いました。

設問指示に「前年(昭和二十年)の『すだれ越しの交渉』を踏まえて」とあるので、隣室の少女の話と絡めないといけません。

本文に解答素材となる直接的な記述はなく、本文において「少女の話がどうなっているか」と「藤の花の話がどうなっているか」から、それらを複合しての傍線部として考えるとどういう推定ができるか……となっていきます。

隣室の少女は、歌声で筆者に安息をもたらし、その歌声で目覚めるのを「たのしい習慣」と述べていますので、プラスの印象を持っています。また、藤の花も、「花の色のただよふのが目にしみた」という記述から、同様です(「しみた」は、ただ「見えた」よりは気持ちが入っていると思います)。

そのように、筆者がふんわり心を惹かれた対象は、どちらもすだれ越しに見るものであり、藤の花の場合はすだれを越えて直接触れようとしても手が届かない位置にあるものでした。少女の方は、あんまり筆者は積極的に関わろうとしていなかったと思いますが、結局顔を見る前に死んでしまったので、最終的に直接的な理解を得ずに終わったと言えます。このように、筆者が美しさに心惹かれる対象は、常に少し離れたところにあり、(藤の花の場合のように距離を詰めようとしても)直接的な関係を持てないようになっているのかもな、と思ったという感じになります。

なんで少女の話も盛り込めるの?という話、まぁ〜設問指示にあるからってのがあっけらかんとした答えですが、作問者は傍線部の「いつも」というところから広げているのかなと思います。「いつも」と思うためには、それより前の共通するパターンと、「いつもそうだ」と思うきっかけ(パターンに合致する今回の出来事)が必要です。今回は、「それより前の共通するパターン」が少女の話であり、「きっかけ」が藤の花の話って感じでしょう。

ただ、この問題も筆者に解いてもらったら「そんなこと思ってないよ」と言われるかもしれません。だって筆者の心中には、我々のしらない「それより前の共通するパターン」がたくさんあるかもしれないからです。筆者はそういった、我々の知らないパターンを感覚的に捉えて「いつも」と書いたような気もします。でも、私たちに与えられているのはこの課題文に限られた世界です。そしてこの課題文を与えた作問者も、この課題文の範囲の世界からものを言っています。くどいようですが、国語の問題を解く際に必要なのは、(ある意味「限定された」)同じ課題文という世界の範囲内で、作問者の読み取りと同じものを読むことです。そう言うと息苦しくも聞こえますが、入試問題は「他者と同じものを読む」という経験の、最も程度が高いものと言えます。それは、論文や随筆を読んで他の人と同じ理解をし、それを元に考えを切り拓いていく土台となるってことなのかもしれません。そういう力を付けてきてね、付けていこうねっていう。問題解説じゃなくなりましたが、この辺で。笑

部分点

〈戦時中〉、〈歌声で安息をもたらしてくれた〉〈隣室の少女が一度も顔を見ないまま亡くなってしまったこと〉や、〈戦後に〉〈旅先で心を動かされた〉〈藤の花にも手が届かなかったこと〉から、〈筆者は〈自分が心惹かれる事物〉とは直接的に触れ合えないような運命になっている〉ようだと感じたということ。

末尾2つの部分点が大事です。それ以外は具体的な根拠なので、情報が不足なく(解答を読めば大体の根拠の内容がわかるように)書けていれば大丈夫でしょう。

文末表現はちょっと悩みました。「廻合せになつてゐるらしい」に傍線があるわけですが、これは割と筆者の主観的寄りな記述です。それを我々が説明せよと言われているのですが、説明するって根本的に客観寄りな営為な訳で、ちょっと工夫がいりそうでした。てか、「〜らしいということ」とすると、ちょっとチグハグな感じしません? 筆者の視点と我々の視点のどっちかわからない感じがして。。。よって、「〜ようだ(らしい)と(筆者は)感じているということ」として、我々の視点を分離した感じです。ちょっと重箱の隅のような話ですが、着目はしておきたいところでした。

読解後のつれづれ

初っ端からすげ〜と思ったのは、「さふいふ死体は、いや、はなしのたねは」という記述です。いや、わざわざ言い直さんでもええやんって思いました。これもまぁ、戦争というものなのでしょう。

続いて面白かった点は、傍線部(3)が含まれる段落に続く段落で、筆者が友人のAと一緒にお酒を飲んでいるシーンですが、「やがて酒が尽きると、笑もにがく、巷もすでに暗く」という箇所です。これ、「えみもにがく」と読むのでしょうか? ふりがながないので分かりませんが……。「笑みが苦い」という記述は新鮮でしたが、なんとなくわかるんだよな〜とも思いました。話したいことを大体話して、お酒で多少頭の回転も鈍く、まぁ特段の話して笑うことも終わって、残り笑いだけが残っている飲み会終盤の感じ……と言っても、高校生の方々には少し共感しづらいですね……(ごめんなさい)。でもそんな感じ、あるの。大学生になったら体験してくださいね。

ではでは、今回も終わりです。お疲れ様でした〜!

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