京都大学 国語2022[三]解答例と解説

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総評

いわゆる「歌論」からの出題です。「歌論」は評論文寄りの古文ですので、物語文に比して繊細な心理描写や情緒を読み解く必要も少なく、比較的取り組みやすい読解となっていました。

解答を一つに定めるため、もしくは難易度を少し下げるために、各設問中には「解答指示」が含まれます。古文の設問においては、よりこれらの解答指示をヒントに解答の内容を絞っていく意識を持った方が、得点に繋がりやすいかと思います。

解答例と解説

問一

そもそも和歌はその時どきの感情を起点に歌い出し、他者の心の和らぎとするべきなのに、歌合は人が互いに詠み合うことで優劣を競い合っており、歌の本義に沿わないから。

「それ歌は〜その争いをすなる、」までの訳が解答の軸となります。末尾の「すなる」はサ変動詞「す」の終止形+(終止形接続ということは)伝聞・推定の助動詞「なり」の連体形です。連体形で「、」に繋がっているので、「(争いを)するらしいということ(は、大層あきれる行為であることよ)」となります。よってこれより前が筆者の「浅まし」という価値判断の中身だと捉えます。

訳出の工夫について。冒頭の「それ」は漢文でもよく出てきますが「そもそも」です。「そもそもこうなのに、(それに反して)こうなっているから、あさまし」という繋がりが分かりやすくなるので、私は含めた方がいいんじゃないかなと思います。「歌は〜ほどほどにつけてその心に遣るものにて」は、直訳すると「歌は、(喜怒哀楽の感情を抱く)その時々に応じて、その心を他の人に投げかける(「遣る」は遣唐使=派遣の遣)ものであって」となります。解答例ではそれをいい感じにしてます。

「人の心の和らげとなすなるを、」の「なすなる」は動詞の「なす(成す)」連体形と連体形接続の断定の助動詞「なり」の連体形かと思います。「他者の心の和らぎとするものであるのに、」です。「かたみに」は「互いに」です。

部分点

〈そもそも〉〈和歌はその時どきの感情を起点に歌い出し〉、〈他者の心の和らぎとする〉べきなのに、〈歌合は人が互いに詠み合う〉ことで〈優劣を競い合って〉おり、歌の本義に沿わないから。

末尾の「歌の本義に沿わない」は、部分点を振るほど内容があるわけでもないのですが、個人的にはあるとなお良いなと思っています。「歌は本来こうなのに、歌合はこうだから、あさまし」でも大丈夫ですが、「歌は本来こうなのに、歌合はこうなっていて、歌の本義に合わないから、あさましとしている感じです。

また、「歌合が行われるようになってから歌の質も悪くなった」という内容も盛り込むか迷いましたが、解答欄の大きさ的にもすこし難しい気がします。

問二(2)

生きている人の和歌を直すにしても、自分に和歌を直してもらうよう頼ってくるわけではない人には、自分の意見を持ち出して言えるようなことは全くない。

「指示語が指す内容を明らかにしつつ」という解答指示が難しくもありヒントでもあるという感じな気がします。傍線部冒頭の「それも、」以外に指示語っぽいものがないので、これを指示語として内容を明らかにするしかありません。

というのも、最初私はこの「それも、」を「そもそも」とか「それにつけても」とか、あまり意味がないつなぎ言葉みたいなもんかと思っていたのですが、それだと「内容を明らかにしつつ」が難しくなってしまいます。なのでなんとか考えなきゃね。直前の内容は、「和歌の作者がこの世にいれば(生きていれば)、言い合う(意見を交わす)こともできるだろう」です。そこで、「それも、」を「そうであっても」と捉え、「作者が生きている場合でも」とするのがいいかもですね。

「たよる」も「和歌のアドバイスを求めて頼りにしてくる」と補った方がいいでしょう。「もて出でて」は「持ち出して」で考えました。

これ以降はやや蛇足なので読み飛ばしてもOKですが、この問題で私がつまづいたのは、この傍線部が「(作者が亡くなっている)古い歌を手直しすることへの批判」なのか、「作者が生きている歌を手直しすることへの批判」なのかがわかりにくかったという点です。これは「それも、」を中身がある指示語として捉えれば結果的に後者なのですが、それも問題指示(「指示語が指す内容を明らかにしつつ」)から分かるというのが現実的な難易度かと。

なぜ私がそこで悩んだかというと、以下のような話の流れなのかなと思ったからです。この段落の冒頭から大いに意訳して、
「そんなのもあるのに、古い歌を直すやつも出てきおった。これもまた腹立つ。その作者がまだ生きとったら言い合いすることもできるだろうが(死んでたら反論もできんからますますけしからん)」と、私は丸括弧内を補完して読んでしまい、結果として傍線部は「(作者が亡くなっている)古い歌を手直しすることへの批判」なのかなも読んでしまったというわけです。でもそうすると、「それも」を指示語として取るのが難しくなるんですね。死んだ人が「己をたよる」ことはないので。よって結果的に「筆者が生きている歌を手直しすることへの批判」として解答を作っていきます。

部分点

〈生きている人の和歌を直す〉にしても、〈自分に和歌を直してもらうよう頼ってくるわけではない人〉には、〈自分の意見を持ち出して〉〈言えるようなことは全くない〉。

部分点では内容のまとまりとしていますが、細かい訳出の不適箇所があれば随時直しましょう!

問二(3)

自分の方が良く詠めていると思っているのだろうが、他者からすれば同様にそうは思わないということもあるだろう。

「説明せよ」ではなく「現代語訳せよ」の問題なので、ある程度逐語訳した方がいいのかもしれません。

「われこそ」の「こそ」は「自分の方が」としてみましたが、これはちょっと攻めすぎかも。普通に「自分こそが」とかでもいいと思います。「らめ」の訳出に気をつけましょう。係り結びが起こっていますが、原型の「らむ」は現在推量なので「ているだろう」です。前後は逆接関係になる内容のようなので、「が、」で繋げられるととても良いです。

「人」は「他人」「他者」がいいかと思います。「また」は「再び」ではなく「〜もまた」から「同じように」とします。「さも」は指示語ですが、指示対象(ある人が歌を直して自分こそが上手く詠めているという自認)が解答内に含まれているため、「そうは」と指示語にしてしまって良いのではないかと思いました。「思はぬも」は「思ふ」未然形→「ず」連体形→助詞「も」なので、「思わないことも」です。「あるべし」の「べし」は、私は推量として訳しましたが、当然(〜はずだ)でもいいと思います。

部分点

〈自分の方が〉〈良く詠めていると思っているのだろう〉が、〈他者からすれば〉〈同様に〉〈そうは思わないということ〉も〈あるだろう〉。

書くことがないのでアホほど蛇足ですが、解答指示内の「指示語が指す内容」って「馬から落馬」してない?って一瞬思いました。でも違うかも。というのも、「馬から落馬」は「馬から馬から落ちる」になりますが、「指示語が指す内容」は、「指示する言葉が指示する内容」なので、そんなに悪くないか。「ランナーが走る」(→「走る人が走る」)と一緒ですね。

問三

「雪はふりける」を「ふりつつ」に直してしまうと、「つつ」の後、つまり和歌の外に明言していない含意があるかのようになり、その和歌の大意が余計に広がることで、描き出す言葉が足りていないような印象になってしまっているということ。

あ〜この話どっかで見た〜〜!と思っていたのですが、『古今和歌集』の「仮名序」のようです(紀貫之が在原業平について「その心あまりて、ことば足らず」って言ってる)。そちらとほぼ同じことを言っているので、「仮名序」を読んだことがある人にとっては特にどういうことを言っているか理解しやすかったかもしれませんが、どう言葉にするかがやや厄介でした。

「例に即して」は、「ふりける」を「ふりつつ」に直したという例です。「つつ」にすると「つつ」で終わるので、「降りつつ……なんやねん!」って気持ちになりません? そのなんやねんの答えは和歌中に明言されていないので、和歌の外に含意があるような印象になります。これが「意味が余って言葉が足りていない」状態ですね。

部分点

〈「雪はふりける」を「ふりつつ」に直してしまう〉と、「つつ」の後、〈つまり和歌の外に明言していない含意がある〉かのようになり、〈その和歌の大意が余計に広がる〉ことで、〈描き出す言葉が足りていないような印象になって〉しまっているということ。

「意余りて」を「和歌の大意が余計に広がる」としたのはなかなか悪くない言い換え方かと思いました(自画自賛)。いかんいかん、われこそよしと思うらめ、人はまたさも思わぬもあるべし。

問四

古い歌であっても、悪い歌だと思うのであれば、ただ引用したり採用したりしなければ良いものを、不必要に直してその歌の作者の意図に反するばかりでなく、悪くまでもすることは、大層面白くないことであるように見える。

この問題も「現代語訳せよ」なので、多少逐語訳寄りにしていきましょう。

冒頭の「ただ」の扱いは考え方が分かれそうです。私は内容からしてスムーズな、少し後の「用ゐずしてありぬべき」にくっつけまして「ただ採用しなければ良い」としてみましたが、これで良いのかなあ。ここの「用う」はちょっと攻めて、「(引歌や文章中に)引用したり、(和歌集に)採用したりする」としてみました。どちらも「用」からいみをひろげて持ってきているので、これは結構好きな訳です。「ありぬべき」は、「あり」連用形→連用形接続の強意の助動詞「ぬ」終止形→適当の助動詞「べし」連体形です。連用形接続なので完了・強意の「ぬ」で、「べし」が後続するので強意に定まります。

「妄りに」はちょっと悩みました。現代語における「みだりに」といえば、そう!「みだりに(駅のホームにある)緊急停止ボタンを押すと法律により罰せられます」ですね! とりあえず「不必要に」としました。現代語の「妄りに」で調べたら、「分別なく」「正当な理由なく」とかも出てきたので、これらもアリかと思います。

「その人」は「その歌の作者」です。これはそんなに難しくないと思います。「悪しうさへ」の「さへ」は気をつけましょう。「さへ」は「〜までも」で訳せばほとんどの場合点がもらえます(もしくは点が引かれません)。「あぢきなし」は「味気ない」なので、「面白くない」としました。

最後の「なめれ」は係り結びがありますが、「なめり」であり、撥音便無表記を復元すると「なんめり」→「なるめり」ですね。断定の「なり」と推定の「めり」です。「めり」は元来視覚情報による推定なので、「ようだ」と訳してもいいですし、「〜ように見える」と訳してもいいと思います。私は後者が合うときは後者で訳したい人です。笑

部分点

〈古い歌であっても〉、〈悪い歌だと思うのであれば〉、〈ただ引用したり採用したりしなければ良い〉ものを、〈不必要に直して〉〈その歌の作者の〉〈意図に反するばかりでなく〉、〈悪くまでもする〉ことは、〈大層面白くない〉こと〈であるように見える〉。

読解後のつれづれ

何度か出てくる「わざ」という言葉に少しの意図を感じました。傍線部(1)の「いと浅ましきわざ」や、次の段落冒頭の「古き歌直すわざ」です。「わざ」はおそらく漢字で書けば「業」なのですが、「業(ごう)」とすると「前世の業」みたいに「罪」みたいな感じの雰囲気を纏います。実際、本文中の意味合いも「悪い行い」という感じですし。

ただ、ご留意いただきたい点として、「業」は必ずしも悪い意味で使われる語でもありません。「生業(なりわい)」は生きていくための資を得るための営みですし、「業」はそういった意味合いと含みます。もちろん、この意味も「二つの意味」というよりは、「罪」みたいな意味と連続的につながっている意味かとも思います。一つひとつの言葉も、その中にはふんわり広がる意味の領域と、今までの言語使用の積み重ねがあります。その広がりと重なりをうまく活かした文章理解や解答作成ができたな〜と思えると、私はなかなかうれしくなります。

ではでは、お疲れ様でした!

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