京都大学 国語2022[四]解答例と解説

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総評

本当に理系向けの設問か?と言いたいほど、感覚豊かで柔軟な文章でした。設問も、比喩、感情、感覚表現と、文系の受験生でもなかなか手をこまねきそうなもの揃いです。この年の理系の皆さんは国語結構ツラかったんじゃないかな……。なんなら文系向けの大問二の方が手をつけやすい気がします。

とはいえ、本番にこれをやれって言われたらやるしかない。ちょっとでも点を重ねられるように、練習の時点では文理問わずいろんな大問にトライしていきましょう〜!

解答例と解説

問一

手紙は、それを受け取る一人の人間への言葉がまっすぐ届くものであるため、中に含まれる言葉が相手を傷つけないように気遣いを持って言葉を選ぶ責任があるということ。

柔軟な言語化が求められる比喩の問題でした。あまり明瞭に比喩が説明されるわけではなく、筆者の感覚性がそのまま言葉になっており、それをこちらで解釈して説明しないといけません。手紙は、「一人の人間に向かって真っ直ぐ飛ばさなければならない紙飛行機のようなもの」で、「責任を持って書かなければならない」し、「責任を気にかけすぎると、書きたいことが書けない」。一方で日記は責任がないとされています。これは、そこに載る言葉に相手がいるかどうかで、その言葉に必要な気遣いの程度が変わるということですよね。日記はどうせほぼ自分しか読まないので、テキトーに書いてもいいし気楽だけど、他者に宛てた手紙は確実に「ある人のための言葉」なので、書く・送るからには、気を遣う必要も責任もあると。

傍線部中の「尖った先がもし眼球に刺さってしまったら大変」も明瞭に説明されてはおらず、ここまでの内容理解から推測する他ないと思います。手紙の言葉の中に、相手を傷つけるような言葉があったら大変だ、ということですね。ただ喩えるだけでなく、比喩からさらに表現を広げているような箇所でした。

部分点

手紙は、〈それを受け取る一人の人間への言葉がまっすぐ届く〉ものであるため、〈中に含まれる言葉が相手を傷つけないよう〉に〈気遣いを持って言葉を選ぶ責任がある〉ということ。

問二

普段は最低限許容できる真実しか口にせず、口が重く実直な印象の鱒男が、前後の文脈もなく突然「出たい」という切実な気持ちを端的な言葉で表し、普段と違う突飛さに驚いたから。

「どきっとした」という「行動(反応)の理由」を問う問題ですので、「前提→出来事→心情→行動」という流れを目安にしましょう。ただこれも目安で、(京大国語においては特に)枠組みとして参考にしつつ解答は自分で作っていくような意識が必要かと思います。ただ、今回はこの枠組みで比較的うまいこと考えられるかと思います。

「前提」として、鱒男は普段、「口が重く、実直で無骨な印象」であり、「最低限の守りの真実しか」言わないという学生でした。「守りの真実」も難しいですが、「わたしは学生です」といった具体例と、「攻め」の反対であるという点を鑑みて、「最低限許容できる真実」としてみました。

そんな鱒男が、「出たい」と言いました。「守りの真実」の鱒男が、「出たい」という「切実な気持ち」を唐突に述べたわけです。そりゃびっくりするよね。「前提」と「出来事」の落差が、筆者に驚きという「感情」をもたらし、「どきっとした」という反応が連なります。こんな感じで一連に説明できると良さそうですね!

部分点

〈普段は最低限許容できる真実しか口にせず〉、〈口が重く実直な印象〉の〈鱒男が、前後の文脈もなく突然〉〈「出たい」という切実な気持ちを端的な言葉で表し〉、〈普段と違う突飛さに驚いた〉から。

やや小さな点ですが、「鱒男」を解答内で使ってもいいかという問題があります。今回の私の解答は使っているのですが、これは「鱒男」が課題文中でかなり度々用いられており、かぎかっこで囲まれているのも一度目だけなため、本課題文においては通常の名詞寄りに使ってもいいんじゃないかなって思ったことによるものです。「青年」にしてもいいと思いますが、せっかく鱒男ってこんなに呼んでるんだもの、使ってもいいじゃない。

問三

文法や内容に矛盾があっても、話者の表現したい気持ちを言い表すため、その時点の話者の表現能力の範囲で最も合う言葉をなんとか組み合わせ、荒削りながら切実な気持ちが端的に伝わってくるような手触り。

かなり悩んだ一問です。というのも、私が参照した別の解答例と私の考えが結構違う。違うポイントは、傍線部(3)よりも後の内容をどのくらい入れるかです。

解答戦略として、最後の問題の傍線部が課題文の最後にない場合は、傍線部よりも後の内容をその最後の問題の解答に吸収することが多いです。私が参照した別の解答例は、その方針にそって、傍線部の後の内容から解答の半分程度を作っています。つまり、「春が来ると」という一般論と、「出たいです」という濃い欲望の落差・矛盾という説明をしている。

でも、私には傍線部(3)の「そういう風な手触り」の時点で、それほどまでに分析的な手触りが筆者の手に残っているとは思いきれないのです。これは文章の時系列、つまり筆者がこの文章を書いているときの時系列を考えてみると良いかもしれません。

随筆なので、この文章には二人の多和田葉子さん(筆者)がいます。一人は文章に描かれている、回想としてのデキゴトの中にいる多和田葉子さんで、もう一人はこの文章を書いている多和田葉子さんです。ここで考えたいのは、後者の「文章を書いている多和田さん」の時系列です。

傍線部(3)「そういう風な手触り」を説明する=この中身にどこまで含まれるのかを考えるうえで、文章を書く感覚を推測することは一考の価値がある気がしますこの傍線部の箇所を書いたとき、文章を書く多和田さんの筆致には何が乗っていたのか。そこに、上述したような、(これより後の内容からわかる)分析的な手触りって、そんなに乗ってないんじゃないかと思うわけです。(もちろん、紙とペンで書いていないかもしれないので、筆致というのも比喩的ですが)

よって、私は傍線部より後の内容からは、「矛盾があっても」とだけ加えました。そして、傍線部より前の内容から、この傍線部を書いた時に筆者が心を寄せていたと(私が)思える内容、つまり鱒男が不器用ながらも懸命に自分の気持ちと言葉に向き合った結果、ぽんと飛び出した言葉の感触、という内容に厚く言葉を割いた形です。いや〜長かった。

じゃあなんで、傍線部より後の箇所が課題文にあるの? なくていいじゃん。
→もちろんちょっとは使うからっていうのもあります。しかし、それだけでなく、やや私の希望的観測でもありますが、これは課題文の内容的なまとまりを保つためというのもあるんじゃないかなと。この箇所は、「春が来ると、出たいです」の謎に、筆者なりの答えを与えてくれます。そこにも、筆者の解釈が豊かに溢れており、この文章を入試問題の課題文にするにあたって、恣意的に削るには失礼だと。そんなリスペクトが一緒にあってもいいんじゃないかな〜。

この解答方針が適切だったのかはちょっとまだわかりません。思いを乗せすぎた気もします。でもそれだけの思いを乗せるに値するくらい、思いに溢れた課題文だと思うんだよなぁ。

最後に、誤解なきように補足ですが、国語の正解とは筆者の心情や考えにあるのではなく、作問者が「このように読める」と理解した読みと同じ読みをすることにあります。上述した観点も、あくまで筆者の心になるためのものではなく、作問者の思考を推定するものとなります。国語ってムズカシイね。

部分点

〈文法や内容に矛盾があっても〉、〈話者の表現したい気持ちを言い表す〉ため、〈その時点の話者の表現能力の範囲で〉〈最も合う言葉をなんとか組み合わせ〉、〈荒削りながら〉〈切実な気持ちが端的に伝わってくる〉ような手触り。

鱒男のやったことを比較的客観的な記述でまとめた形になります。鱒男は自己の気持ちを流暢に言い表す日本語の力を持っていなかったので、「文節を他人の庭の木から折ってきて接ぎ木した」わけですが、そこにも鱒男の必死さが垣間見えます。その結果、誤った日本語であっても、鱒男の切実な気持ちが伝わってくるような言葉が飛び出し、その手触りが筆者の記憶に残ったのではないかと。

読解後のつれづれ

いや〜〜〜とても柔らかく、だからこそ掴むのが難しく、理系の方にはかなりツラい大問だったのではないかと思います。ただ、ド文系の私にとっては良さみを感じる箇所が多々ある文章でした。笑

一段落目の末尾、「頬杖をつくと、顎がかくっと上に向けられ、窓ガラスを通して青い空が見える。」とか、隙あらば自分語りって感じでなんやねん!って感じでしょうが笑、確かに日記を書いているときと手紙を書いているときでは、日記を書いている時の方が上を向きやすいかもしれません。謎の共感。

その次の段落、「いわし」というひらがな表記についての、「ひらがなの味も悪くない。火を通さないナマの味。」とかも、理系の人からすれば「はぁ?」もしくは「はぁ……」という感じかもしれません。でもねぇ!表記の感触とかって私も大切にしたいのでこれもチョットワカルんですよ!笑 鰯といわしとイワシは割と違うっていう……。

傍線部(2)の含まれる段落の次の段落の末文も味があります。「鱒を取り除いて鯛を入れれば欲望が現れる。」誰が上手いこと言えと。

最後に茶々入れですが、傍線部(3)が含まれる段落の一つ前の段落末尾で、「こうなってくるとどこから出たいのかだけでなく、誰があるいは何が出たいのかまで分からなくなってくる。」と述べているのに、課題文全体の末尾では、(同じ「春が来ると、出たいです。」なのに)「鱒男は今どこにいて、どこへ出たいのか。」としており、主語が鱒男ということになってるんですよね。この間に、文章を書いている多和田さんの中で心の変化があったのか、それともそんなに考えてないのか。まぁまぁ、そんなところに思いを馳せるのも、こういう文章で問題を解く際の醍醐味です。

ところで、「鱒男」は「ますお」なのか「ますおとこ」なのか。皆さんはどっちで読んでましたか?

ではでは、今回もお疲れ様でした!

この年の他の大問の解説

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