大学入学共通テスト国語 2022追試[1(評論)]解説

目次

解説

選択肢の吟味において、「×・△・?」を選択肢の該当箇所に付けていきます。×は「これはちゃうやろ」、△は「ちゃうかもしれん」、?は「びっみょ〜」って感じです。

問1

(ア) 装飾 / ①委嘱 ②虚飾 ③誤植 ④払拭

(イ) 還元 / ①奪還 ②根幹 ③慣習 ④閑散

(ウ) 祖先 / ①空想 ②平素 ③開祖 ④敗訴

問2 正答①

結構悩みました。傍線部は「声としての言葉もすでに、その内部に文字と同じようなへだたりをもっていた」ですので、「文字と同じようなへだたり」が何なのかを厳密に捉えなければなりません。

傍線部より前の範囲では、「文字はそのような『内面』から距離化された『表層』に位置づけられる」とありますので、文字は(「声」として比較的強く想定できる)「内面」からへだたりがあるものであり、そういった意味で「表層」とされていると理解できます。ここを厳密に捉えると、「声」も同様に、本当の意味での「内面」をそのままに表しているものではなく、「内面」と距離がある表出であるということになります。このことは、傍線部Bが含まれる段落冒頭の「声は言葉のメディア(あるいは意味のメディア)であることによって、ただの音とは異なる内的なへだたりを自らの内に孕む」という記述からもわかります。あくまで「(声の中にある)内的なへだたり」なのです。

しかし厄介なのは、傍線部のすぐ後に続く箇所で「このことは『声』と『音』の区別を考えてみるとわかりやすい」と言ってくれてしまっているところです。この箇所では、簡単にいえば「声」には内的なへだたりがあって「音」にはないよ、ということを言っているのですが、「声と音にはへだたりがあるよ」という理解の仕方もしてしまいかねません(というか一度私はしました)。そうすると⑤を選んじゃうんですよね〜これが。私は一度う〜んとなってから、もうちょっと読み進めて傍線部Bが含まれる段落まで読んで判断しました。

選択肢の吟味

①正答です。「(広義の)音」が「声」と「(狭義の)音」を包括しているのでわかりにくいですね。「内的なものを持った音」が「声」で、「内的なものを持っていない音」が「(狭義の)音」です。

②「もともと声に出された言葉にも一次的な音としての性質と二次的な心の内部との間に距離があった」が△です。「声」と「文字」の関係と対照して見ると、「声」と「心の内部」であれば「心の内部」の方が根っこなので、「一次的な心の内部」と「二次的な声」というように、「一次的」「二次的」が逆であればまだ良かったかもしれません。

③「もともと声に出された言葉にも客体としての音と主体としての声との間に違いがあった」が△です。こちらも、「声にも内的なへだたりがあるよ」ではなく「音と声にはへだたりがあるよ」という内容になってしまっているのであまりよろしくないです。

④「もともと声に出された言葉にも音声学的な音と生物学的な声との間に開きがあった」が△です。こちらも「音と声にはへだたりがあるよ」という内容になってしまっています。

⑤「もともと声に出された言葉にも完全な周期性をもった表層的な音と周期性をもたない内的な声との間にずれがあった」が△です。「音」と「声」の間の説明としては適切なのですが、やはり「音と声にはへだたりがある」という意味になってしまっています。

問3 正答⑤

比較的この大問中では難しくない部類かと思いました。「声」が持つ「内的なもの」は、必ずしも「自分(話者自身)」じゃなくてもよく、「祖先の言葉」「部族や身分の言葉」であってもいいのだという話ですね。そのように「(私以外の)誰か」の言葉を語る時、話者である「私」は、「誰か(の言葉)の媒体」となります。この時、「私」は「誰か」の代わりになっていて、ともすると「誰か」のいち表出に過ぎない……とまで言えるかもしれません(これが傍線部です)。

選択肢の吟味

①「人間はもともと他者の言葉を語ったため音と身体との間にへだたりがあった」が△です。「音と身体との間のへだたり」が「他者の言葉を語ったため(理由)」であるという内容は明瞭ではありません。

②「人間は歴史の中で共同体の秩序とつながったメディアによって意思を決定していた」が?です。「共同体の秩序とつながったメディア」がどういったものを指しているのか、本文内容からは判然としません。後半も本文内容に照らしてよくわかりません。

③「言葉をなかだちとして『私』が自我とは異なる他者と語り合うという近代社会の発想」が△です。傍線部前後でかろうじて述べられている「近代社会の発想」は、(傍線部Bの次の段落にあるように)「話される言葉の向こうに居る者」を、もっぱら語る身体の内部にある「私」へと帰属させるようにする、という発想です(これはおそらくですが、一般的に近代的な発想として「自我(自己を中核とする意識)」の存在感の高まりというのは言える気がします。それに呼応する形で、「話される言葉の向こうに居る者」も自分の外にあるとするのではなく、「私」の中に収まっているという理解をしたかった……という感じでしょうか)。よって、「言葉をなかだちとして『私』が自我とは異なる他者と語り合うという」というのは、本文中の「近代社会の発想」とは合いません。

④「声は元来現実の外部にある『何か』によって世界の意味を想定するメディアだった」が?です。マジで何言ってるのかわかりません。どこを素材にして間違えさせようとしているのかもよくわかりません……。後半もよくわかりません。

⑤正答です。「近代的な発想」も③の解説で行ったものと概ね一致しています。近代社会においては、「声の向こうに居る者」は「私」である(「私」に帰属させる)という発想がありましたが、これって絶対的な考えじゃないよねってことですね。

—–スポンサーリンク—–

————————

問4 正答③

こちらも具体例を踏まえて考えればそれほど難しくありません。傍線部Cの前段落末尾に、「メディアの中のアイドルやDJたちのように、言葉を語り・歌う者の側が、生産され流通する声に帰属するものとして現れたりもする」とあり、これが傍線部Cの具体例として手がかりになります。

アイドルの方がわかりやすそうなのでアイドルでいきますが、アイドルのCDには実際のところ「アイドルの声」が(加工・編集されて)含まれているだけです。ただ、CDはその「アイドルの声」を、時間・空間をまたいで流通・再生させます。そうすると、本来的には話者(歌唱者)であるアイドルの主体から「声」は切り離されて運ばれているはずであるのに、あたかも「声」の中にアイドルが存在しているかのような感覚を生じさせることができることもあります。あたかも、声を運ぶ(だけのはずの)メディアがその声の主を運ぶかのように。これを、「歌うものの側が、生産され流通する声に帰属する」としているわけです。

また、傍線部後半の「特定の人称から解き放たれて囁きかける」はその逆で、身体から切り離されることで話者と分離して「声のみを聞く」という可能性も開けるということです。これらを踏まえて選択肢を見ていきましょう。

選択肢の吟味

①「声を発する主体としての身体を感じさせない不気味なものとして享受されたりする」が△です。「不気味なもの」というのが根拠薄弱です。

②「電気的なメディアの中の声は、〜身体を付随させて流通したり」が?です。この記述だと、本当に(物質的な)身体を付随させて流通するかのように読めてしまいます。また、「複雑な制度や技術から自由になったものとして」も△です。あくまで話者(歌唱者)から切り離されるということであり、「制度や技術」から自由になるというのは適切ではありません。

③正答です。後半の「人々に多様に受容されたりする」は、話者(歌唱者)から切り離されることで、その話者に依拠しない受容の仕方が開けるという意味でしょう。

④「近代において語られた自我という主体に埋め込まれたものとして密かに消費されたりする」が△です。アイドルの例は、「声」の側に「(声の)主体」が埋め込まれるとは言えるかもしれませんが、「声」が「主体」に埋め込まれたものであるとは言えないかと思います。また「密かに」もよくわかりません。

⑤「様々な身体が統合された『作品』として流通したり」が?です。「様々な身体」って何?? また、「社会的な制度や技術に埋め込まれたものとして人々に享受されたりする」も△です。「特定の人称から解き放たれて」の言い換えとして「制度や技術に埋め込まれたものとして」はあまり内容として合いません。

問5 正答④

傍線部Bと傍線部Cの間がアホほど広いのですが、この設問で接収されているのかもしれません。結構曖昧性が高く、難しめの設問かと思います。特にこれといった注目箇所がない設問なので、選択肢の吟味で詳しく見てまいります。

選択肢の吟味

①「声と音とのへだたりを論拠に声から自我が切り離されていたことを指摘」が?です。「声から自我が切り離される」という内容が何を指しているのかよくわかりません。また、「電気的なメディアによって言葉が主体性を獲得していく」も△です。言葉と「主体」は本文を通底するテーマではありますが、「言葉が主体性を獲得していく」はややズレます(例えば「言葉に主体が帰属していく」であれば、傍線部C前後の内容と多少関わりそうですが)。

②「新たに近代に発明された電気的なメディアで声が身体に内在化していく経緯」が△です。電気的なメディアは、声に身体を内在化させる可能性は開きましたが、選択肢は逆になってしまっています。

③「十九世紀後半の電気的なメディアにおいて声と身体がともに加工されて外在化した」が△です。「加工」の対象になるのはあくまで「声」のみであり、その結果「声」に「主体(身体)」が帰属する印象をもたらしうるという流れになっています。

④正答です。「言葉をめぐる社会的な関係が変容する」はちょっと抽象度が高いですが、電気的なメディアの現れなどによって、言葉(声)が社会の中でどのように流通・消費されるかが変容していくってことでしょう。これは本文末尾の一文に該当する内容かと思います。

⑤「かつては声としての音が人間の内部に縛られていたことを問題提起し」が△です。「人間内部」のような概念が問題になっているのは、近代における「自我」の話のあたりかと思いますが、これも「縛られていた」というよりは「言葉を『私』に帰属させようとしてきた」なので、内容として合いません。

問6(i) 正答②

間違えました(④を選びました)。なんか本文を読むよりもこの絶妙な完成度のNさんの文章を読む方が難しい……。

これ以降の具体例が絶妙で、結局「声と身体を切り離して捉える」例なのか、「声と身体が結びつく」例なのかが本当に読み取りづらいです(それによって②か④かが変わります)。こんな具体例持ってきたらあかんよ。

正答としては②なので、「切り離して捉える」が正しいということになります。「別の存在が発した声であっても、私たちは違和感なく聞いている」とあり、これは(声と(別の)身体が結びつく例ではなく!)声が(本来の)身体と分離しても違和感がないという例らしいです。もうちょっと考えることあるやろ……って思いますが、Nさんは高校生なので仕方ないですね。

てか、これが当たらないと(ii)も間違えますね……(私は間違えました)。一つの設問の正解・不正解が他の設問の正否判断に影響しないようにしてほしいなぁ……。

選択肢の吟味

①「声は個人の存在と強く結びついている」が△です。映画の吹き替え版やアニメの例と内容がつながりません。また、「声によって他者の身体の実在を特定できるのだろうか」も微妙です。「身体の実在」は本文でもあまり触れられていませんし、こちらも直後の「たとえば」以降とのつながりが通りません。

②正答です。「切り離して捉える」の具体例として、吹き替えやアニメを出しています。上述したとおり、具体例として正直あんまりわかりやすいとは言えないかと……。

③「他者との関係性はどのように変わるのだろうか」が△です。①の解説と同様に、本文として「他者との関係性」はフィーチャーされていないため、「本文を読んで気づいたこと」として不適です。

④私はこれを選びました。「どのような条件が想定されるのだろうか」が△なんですかね? あまりこの後のNさんの記述が、「条件」を考え進めているようにはなっていないということなのでしょうか……。

問6(ii)

この設問もちょっと私としては評価し難いです……。というのも、もともとの傍線部の接続の仕方をどの程度考慮すべきなのかが明瞭でないからです。

結論として、もともとの傍線部の接続の仕方は考慮しなくて良いようです。例えば傍線部bなら、傍線部は「その上」ですが正答は②「しかし」なので、本当に全くもって接続関係が違います。付加と逆接って、もう本当に違います。やめてよそんなの……(さすがにそこまでじゃないと思った……)。「しかし」に修正するくらいなら、もともとのNさんは何を思ってここに「その上」を入れたの?と怒りたくなります。笑

b 正答②

後の祭りですが、私はもともとの傍線部の接続関係をある程度考慮した結果、④「あるいは」として間違えました。「あるいは」としてしまうと、【文章】中では一種類めの具体例(映画の吹き替え版やアニメ)と二種類めの具体例(電話やボイスメッセージ)がある程度同じ方向性の具体例としてまとまります。これによって、(i)の傍線部でこの二種類の具体例の両方を包含することを考えてしまい、(i)も間違えるということになりました(「しかし」にすればこの二つの具体例は分離するので、一つめの具体例をもとに(i)を考えればよく、合わせやすくなります)。それって……どうなの??

c 正答④

比較的マシな設問です。前後一文ずつの接続関係から、同じようなことを改めて少しまとめて述べていますので、「やはり」で良いかなと思います。

d 正答②

こちらも間違えました。こちらももともとの傍線部の意味を考慮し(てしまっ)て④「おそらく」を選んだのですが。「ふつうに」はやや砕けた表現ですが、「普通に考えると」→「おそらく」で置き換えられるかなと。で、答えは②「もし」と。別に「〜ならば」があるからって必ずしも「もし」をつけないといけないわけじゃないでしょう? 「彼が来なければ大変なことになる」って言えるでしょ? 「もし彼が来なければ」って絶対言わないといけない!とか無いでしょ? それなら文末の「〜に違いない」にかかってると捉えて「おそらく〜に違いない」で通るでしょ? というかもともとの傍線部である「ふつうに」は「〜に違いない」にかかってるくね?? どうなのこの設問。(ちょっと怒ってます笑)

問6(iii) 正答③

この設問も納得できていません。ですので解説が難しいです……笑 ちなみに私は④を選んで間違えました。

Nさんがいろんな例っぽいものをぽんぽん出す割に一貫性がないので、結論って言われてもさぁ。とりあえず私が考えた範囲で、選択肢の吟味をしておきます。

選択肢の吟味

①「自分以外の存在に限って、声と切り離されない身体性を感じる」が△です。母と姉を取り違えているので、「声と切り離されない」とまでは言えません。

②「人間の声と身体は常に結びついている」が△です。①と同様ですね。

③正答なのですが、私は「声の側に身体を重ねていたことがわかった」に△を引いていました。「自分自身の声を認識したり」も、「自分自身の声が誰の声かわからない」という例なので、「声の側に身体を重ねている」と言えるのでしょうか? 本当に言えるの?これ。わかりにくいよ〜!

④私はこれを選んじゃいましたが、不正解でした。これもどこが悪いのかイマイチわかりません。すみません。

読解後のつれづれ

追試験、本試験と比べてやっぱりなんか厄介な設問がちらほらあるなぁと感じています。本試で受けられるのであれば受けちゃった方がいいと思います。まぁさすがに50万人受ける試験と数千人の試験とでは、問題正当性の検証の程度が異なるのでしょうか?(本義的にはあってはならないことですが……)

とはいえ、やむを得ない事情で追試験の受験となる皆様がいるのも事実ですので、私もなるべく頑張って解いて解説を書こうと思います。今回もお疲れ様でした!

この年の他の大問の解説

役に立ったらお友達にシェアしてね
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次