大学入学共通テスト 国語2024本試[1(評論)]解説

このページは、2024年度大学入試共通テスト本試験 国語 大問1(評論)の解説です。

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目次

解説

選択肢の吟味において、「×・△・?」を選択肢の該当箇所に付けていきます。×は「これはちゃうやろ」、△は「ちゃうかもしれん」、?は「びっみょ〜」って感じです。

問1

(ア)掲載 / ①啓発 ②掲出 ③契機 ④系図

(イ)活躍 / ①利益 ②倹約 ③躍如 ④役職

(ウ)催し / ①採択 ②催眠 ③喝采 ④負債

(エ)悪弊 / ①公平 ②疲弊 ③幽閉 ④横柄

(オ)紛れ / ①噴出 ②分別 ③紛糾 ④粉飾

問2 正答⑤

比較的難しくありません。最も直接的な理由としては、六段落目の終わりに「典礼をも巻き込む形で全体が『作品化』され、『鑑賞』の対象になるような状況が生じている」とあるように、典礼が「作品化」されており、これは「音楽作品」なのか「典礼」なのかという区別を付けようとすることが難しくなっている、という点です。

選択肢の吟味

①「それ以前に典礼の一部なのであり、典礼の全体を体験することによって楽曲本来のあり方を正しく認識できるようにもなっている」が△です。典礼は「作品化」されているので、典礼に基礎をおくことはできません。

②「独立した音楽として鑑賞できると認識されているから」が、本文内容としては合っているのですが、設問で聞かれていることに対して△です。「典礼なのか音楽なのか微妙」なのはなぜかですので、「音楽として鑑賞できると認識されているから」は「微妙」に対する答えになりません。

③「聖堂内でありながら音楽として典礼から自立することにもなった」が×です。これも②と同様、「音楽として自立」とすると音楽に土台を置いていることになるので、「典礼なのか音楽なのか微妙」の理由になりません。

④「演奏を聴くことを目的に参列する人やCDを購入する人が増えたことで、典礼が音楽の一部と見なされるようにもなっていった」が?です。「ことで」という因果がやや微妙で、「典礼の音楽作品化」の一側面として、「LDやDVDでのパッケージ化された受容」が述べられてはいますが、CDを購入する人が増えたことで「典礼の音楽作品化」が進んだとは言えない気がします。

⑤正答です。「さらには典礼自体を一つのイヴェントとして鑑賞するような事態も起きている」が理由の主たる部分かと思います。「その典礼から切り離し音楽として鑑賞することもでき」はちょっと離れる気がしましたが、二段落目の内容を受けているのだということにして誤りではないと思いました。

問3 正答①

いきなりですが私は間違えました(④を選びました。この点の吟味については後述します)。

傍線部の「今『芸術』全般にわたって進行しつつある状況」とは、「博物館化」と端的に表されていますが、以下のようなプロセスを踏んでいるかと思います。

美術館や博物館で、物品を現実のコンテクストから切り取って展示することへの批判
「もの自体」をみせるのではなく、そのものに付随するコンテクストも見せ、イメージさせるようになる
もっと広いコンテクスト(そのものに関わる時代全体)を主題化する展覧会などができる
その結果、(もともとは現実の時空から分断された作品を展示する場であった)美術館や博物館に、外にあったはずの「現実の時空」が引き摺り込まれ、美術館や博物館はそのような「現実の時空」の縮図みたいなものを鑑賞する場になる
そのような鑑賞の視点が、美術館や博物館の中だけでなく、外界や街全体(本来の「現実の時空」それ自体)にも適用されるようになる(具体例としてディズニーランドや京都など)。

つまり、例えば京都は(私も京都生まれなので特に)「現実の時空」なんですけど、あたかも京都の街を「展覧会の展示」みたいな視点で「鑑賞する」人もいるようになってるよね、という感じです。

それと構図を同じくする形で、もともと「レクイエム」原義的には(現実的な)典礼なのかもしれなかったところを、人々の「コンサート的に鑑賞の対象にしちゃう」視線によって「作品化」されているんじゃね、と言える感じでしょうか。

選択肢の吟味

①正答です。上述した①〜⑤のプロセスを含んだ説明となっています。

②「物がそのものが置かれていた生活空間も鑑賞の対象とする考え方がもたらされていた」が?です。上述したプロセス中の③までしか説明できていないように思われます。

③「施設の内部と外部の境界が曖昧になってきた」が△です。まぁ〜言ってることはそうなんですが、プロセス中の④や⑤に主眼が置かれておらず、枠組みの話に留まってしまっています。

④私はこれを選びましたが不正解です。上述の①〜⑤のプロセスに落とし込む中で私も理解が進んだのですが、これも④や⑤のプロセスを説明できていません。いや〜。

⑤「人々の関心を呼び込もうとする都市が出現してきた」が△です。京都やウィーンの例はあくまで例示されているだけで、そういった都市に意図があるかなどは言及されていません。

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問4 正答⑤

連続で恐縮ですが、私はこちらも間違えました……(④を選びました)。普通に難しくないかと思うんですが。。。

全体的には、「音楽」や「芸術」といった概念それ自体も普遍的ではないし自明なものではないんだから、気をつけないといけないよって感じですね。で、「音楽」や「芸術」がどう普遍的でないのかというと、「特定の歴史的・文化的コンテクストの中で一定の価値観やイデオロギーに媒介されることによって成り立っている」からです。その時代、文化によって、「音楽化」「芸術化」のプロセスは違うんだから、「音楽」とか「芸術」といった概念を、時代や文化を問わずに普遍的な物として扱うことは不適切だと筆者は捉えており、各時代・文化的コンテクストや価値観に応じて、「音楽化」や「芸術化」といったプロセスの中身や力学(プロセスの背景・原動力など)を明らかにすることが大事って思ってる感じでしょうか。

選択肢の吟味

①「『音楽』や『芸術』は、コンサートホールや美術館の内部で形成された『博物館学的欲望』に基づいて更新され続けていた概念である」が△です。「音楽」や「芸術」は、特定の歴史的・文化的コンテクストの中で、もうちょっと意味の広いもの=一定の価値観やイデオロギーに媒介されることによって成り立っています。

②「あらゆるものが『音楽化』や『芸術化』の対象となってゆく状況を説明できなくなる」が△です。「音楽化」や「芸術化」が「あらゆるもの」を対象にしているとは述べられていない気がします。

③ 「『音楽』や『芸術』は、コンサートホールや美術館といった『聖域』が外部へと領域を広げていったことで発展してきた概念である」が△です。①と同じく、「音楽」や「芸術」という概念への理解がズレています。

④私はこれを選びましたが、誤りでした。「『音楽』や『芸術』は、コンサートホールや美術館の中で生まれた価値観やイデオロギーを媒介として形作られてきた概念である」が△なんでしょう。「中で生まれた」がダメなのかと思います。もうちょっと広い意味での価値観やイデオロギーを媒介としてるってことでしょう。後半は大丈夫なんじゃないかと思うんですがね〜。

⑤正答です。私は「『音楽』や『芸術』は、コンサートホールや美術館で育まれた『鑑賞』のまなざしと関わり合いながら成り立っていた概念である」に関して、「価値観やイデオロギー」に比べてちょっと狭くね?って思って△を付けていました。「関わり合いながら」にやられましたね。④に比べて「関わり合う」とボカすことで、「なんか良い感じにお互いに作用して」みたいな感じでOKになる気がしました。ぐぬぬ。

問5 正答③

適切ではないものを選ぶ選択肢なので、適切ではない③のみ、どのように適切でないかを簡単に解説します。

選択肢の吟味

①②④適切です。

③「新たに別の問題への転換を図っており」が△です。第七段落は、問いを芸術全般へと拡張していますが、「博物館化」といった内容を受けて論を抽象的な段階に進めていますので、「別の問題への転換」とは言いづらいかと思います。

問6(i) 正答①

【文章】中の傍線部は、「小説を読んでから訪れてみると、(町の風景が)今までと別の見方ができて」なので、町の話になっているものを選べば大丈夫です。

選択肢の吟味

①正答です。

②「作品を新たな視点で読み解けて」が×です。作品の話じゃないよ。

③「作者の創作意図が感じられて」が×です。作者の話じゃないよ。

④「時間の経過が実感できて」が×です。時代の話は明らかではないです。もしかすると作品はSさんが訪れる町よりも未来の町を舞台にしているかもしれないじゃないですか(多分書きぶりからしてそうじゃないと思いますが、そこを断定することはできないという意味で)。

問6(ii) 正答③

③(c)と④(d)でめっっっちゃ悩みましたが、結果として合ってました。

挿入文は「作品を自分なりに捉え直す」とあるので、これはあくまで「現実→作品」という向きで認識の変化の話をしています。よって、a・bは「作品→現実」の話なのでなくなります。

で、問題のcとdですが、どっちも行けるんじゃねって思ってうんうん考えていました。挿入文は「それは」から始まるので、その指示関係を明らかにできれば行けんじゃねって思ってたのですが、なんか両方行ける気がする。笑
最終的に厳密にしたのは、c・dのカッコ前の内容と、「それは、〜からだろう」の理由対応がより正確なのはどちらか、という点です。

c「小説のイメージが変わった」「それは、〜現実の空間に身を置くことによって得たイメージで作品を自分なりに捉え直すということをしたからだろう」「作品が新しい姿を見せることもある」

d「作品が新しい姿を見せることもある」「それは、〜現実の空間に身を置くことによって得たイメージで作品を自分なりに捉え直すということをしたからだろう」「さまざまな発見があった」

となり、ややcの方が理由との対象の具体性が一致してるんじゃないかな〜〜と。そんなに難しくない? 私が考えすぎなんでしょうか?

選択肢の吟味

上述の解説に代えて割愛いたします。

問6(iii) 正答②

Sさんの文章をちゃんと理解していけば、それほど難しくありません。選択肢がSさんの文章全体に関わるため、委細は選択肢の吟味に譲ります。

選択肢の吟味

①「作品世界をふまえることで現実世界への認識を深めることができる」も?です。「別の見方ができる」は言えますが、それが「深まる」なのかは不明です。また「現実世界を知るために作品理解は欠かせない」「作品世界と現実世界が不可分である」も△です。そこまでの強い結びつきを述べているわけではありません。

②正答です。「相互に作用し得る」という無難な結論で、とても無難です。

③「現実世界を意識せずに作品世界だけを味わうことも有効である」が△です。多分ここで言っていることは割とそうなのかもしれません(現実世界と結びつけずに作品を享受するという態度も認められるべき)が、Sさんが述べている内容からはズレてしまいます。

④「作品世界を鑑賞するには現実世界も鑑賞の対象にすることが欠かせない」が△です。これも作品と現実の結び付きについて、Sさんのここまでの内容からして言い過ぎです。

読解後のつれづれ

いや〜、普通にやや難かと思ったのですが、世間(予備校)の評としては易化らしいので、私もちょっと落ちぶれたものなのでしょうか。

特に問三などは、「博物館化」というプロセスをちゃんと丁寧に捉えられていないと間違う(私は間違えた)と思っており、時間的に厳しい中でそこまでの読解ができるんか、、、、という気持ちです。

ただ、読み直してみるとまぁそうだなぁと思うことが多かったので、やはりちゃんと作られているんだなぁと思います。共テはやはり、社会に出た後に須らく文章読めるようになるための良い訓練だなぁと思っております。またその辺についての考えも書きたいですね。ではでは、お疲れ様でした。

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