総評
全体的にやや平易な印象です。(五)の記述の仕方がやや難しいですが、本文も比較的理解しやすく、押さえるべき文法事項が掴めていればある程度点は取れそうな気がします。
冒頭、耳を売った僧と買った僧が出てきて、果たして主人公はどっちなんだろうと読み進めていましたが、ありがたいことに本文末尾で「これも、耳の福売りたる効かと覚えたり」とちゃんと書いてくれているので、耳を売った僧が上手いこといかない話なんだな、と確定させることができます。(耳を売る金や布施への)欲深さの結果、上手くいかないというトピックも通底しているので、そこをちゃんと読めているよとアピールしながら解答を組んでいきたいものです。
解答例と解説
(一)
ア お与えください。お坊様の耳を買おう
イ 耳だけには確かに幸福の人相がおありになるが、そのほかには見当たらない
ウ 私に代わってお訪ねなさってくださいよ
ア 「たべ」は「たぶ(賜ぶ)」の命令形で、「お与えになる」の命令形として「お与えください」と訳しています。より正確に言えば尊敬語なので「お与えになってください」なのですが、耳を売った僧と買った僧の間に身分差は大きくなさそうな(必ず敬語を用いているわけではない)ので、訳出としては「お与えください」で妥当なのかなと思います。「御坊」は「お坊さん」の尊敬語であるとはわかったのですが、面と向かって言っているのでどう訳したもんか悩みました。最初は「あなた様」と訳していましたが、参考にしている答案が「お坊様」と訳していたので、そちらの方がいいなと思い直しました。「買はん」は「む」を意志の助動詞として「買おう」とするのがスタンダードだとは思いますが、もう少し強めの意思(願望に近い)として「買いたい」としても良いと思います。
イ 「耳ばかり」は(「その外は見えず」と言っているので)「耳だけ」とします。「こそ」は訳しても訳さなくてもいいと思いますが、強意の意味合いを出すために「確かに」と入れています。「福相」は私も初めて知りましたが、人相を見る人のセリフなので、シンプルに「幸福の人相」としています。「こそ〜おはすれ」となっていますので、逆接的な意味を持つ係り結びで、「〜だが」と繋げるのが適切です。
ウ 「予」は一人称で「私」です。「赴く」はシンプルに言えば「行く」ですが、「訪ねる」としています。「給へ」と尊敬語の補助動詞がついているので、「お訪ねなさって」と尊敬調にしています。「かし」は語気を強める終助詞なので、「〜くださいよ」と末尾に入れました。本問はそれほど難しくありません!
(二)
大般若経の真読祈祷も、逆修の仏事も、どちらも得意なことである
こちらもそれほど難しくはありません。「何れも」は「どれも」「どちらも」、「得たること」は「よくわかっていること」「得意なこと」となります。
傍線部に先立つ箇所で、「先づ祈禱に、真読の大般若ありがたく候ふ(先に祈禱として、大般若経の真読をしていただけるとありがたくございます)」とあり、もともと僧は逆修の仏事をしに来ているので、「大般若の真読も、逆修の仏事も、どちらも心得ている」となります。
部分点
〈大般若経の真読祈祷も、逆修の仏事も〉、〈どちらも得意なことである〉
部分点としての解説は特段ありません!
(三)
酒を拒否することで、いかにも霊験あらたかな様子に見せ、布施を得ようと思ったから。
直接的な理由としては、直前の心中である「いかにも貴げなる体ならん(いかにも尊い様子であるようにしよう)」となりますので、まぁこの点が訳出できていれば最低限OKです。「霊験あらたか」は使えると便利な表現で、「ご利益がありそうな様子」みたいな意味です。解答欄が限られている東大国語においては、もしかすると助けられる表現かもしれません。
ただ、そのように「いかにも貴げなる体ならん」としたのも、お布施を狙っての行動だと推測できます。(五)にもつながりますが、ここまでの僧の行動は、もらえるお布施が多そうな方に行き、大般若の布施も逆修の布施もせしめようとしているので、ここで「いかにも貴げなる体ならん」としているのもお布施目当てであると思われるからです。ただこの点は直接的な記述でもないので、なくてもそんなに致命的ではないと思います。
部分点
〈酒を拒否することで、いかにも霊験あらたかな様子に見せ〉、〈布施を得ようと思った〉から。
「酒を拒否することで」は、「本当は上戸(酒飲み)であるのだけれど」を少しだけ含意します。もう少し解答欄があれば書くのですが、悩んだ結果省きました。
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(四)
祈祷のために来た僧が神主を死なせてしまい、神主の家族はかえって何も申し上げようもなくて
やや難しいのは、この箇所が僧の様子なのか(神主の)家族の様子なのかを判断するところかと思いました。「とかく申すばかりなく」は「なんだかんだと申し上げるかたもなく」という感じなので、神主が亡くなってしまったことに対して、僧が何も言えなくなっているのか、家族が何も言えなくなっているのかどっちなんだろうという判断です。
個人的には、傍線部の後との接続を見るのが良いのかな〜と思いました。「申すばかりなくして」と単純接続されているので、その後の「『孝養の時こそ、案内を申さめ』と返しけり」と主語が継続している可能性が高く、「追善供養の際に、また連絡申し上げます」と言って(僧を)帰らせたのは神主の家族ですので、「とかく申すばかりなく」も家族の様子であると推測できます。
「中々(なかなか)」は「かえって」が定訳なので、「祈禱に来た僧が神主を死なせてしまったので、かえってものも言えず」という形で全体としては理解できます。
部分点
〈祈祷のために来た僧が神主を死なせてしまい〉、〈神主の家族は〉〈かえって何も申し上げようもなくて〉
「状況がわかるように」とありますので、「僧が神主を死なせてしまった」という説明は必須です。
(五)
耳を売った僧は、多くの布施を得る打算的な判断を行い何も上手くいかない、卑しい心になったということ。
まとめ方が難しい設問です。言いたいことはわかりやすいのですが……。耳を売った僧は、上人から派遣の相談を受けた時も、どちらが多くの布施を得られるかを考え、家族から大般若の真読を依頼された時も、もともとの逆修の布施だけでなく大般若の布施ももらえそうだと考え、お布施のことばかり考えて打算的な行動を取り続けています。このことを「心も卑しくなりにけり」と表している形です。そうして「万事齟齬する(全てのことに、ズレが起こってうまくいかない)」結果に終わっています。というのも、欲張らずに遠い方の派遣先に行っていれば、多くの布施を得られていたかもしれないし、見栄を張らずに酒を断っていなければ、餅を出されることもなく、神主に餅を食べさせて死なせてしまうこともなかったかとしれないからです。僧が欲を張って打算的な判断・行動をしたことで、いろいろなことがうまくいっていないことがわかります。
部分点
耳を売った僧は、〈多くの布施を得る打算的な判断を行い〉〈何も上手くいかない〉、〈卑しい心になった〉ということ。
解答欄が……狭い!笑 もうちょっと書かせてほしいものです。字数を度外視してもう少し丁寧に書くとすれば、「耳を売った僧は、欲張って多くの布施を得るために打算的な判断ばかり行い、結果として何も上手くいかないというような、卑しい心の持ち主になってしまったということ」みたいな感じになります。それをぎゅうぎゅうに詰めると解答例みたいになると思います。笑 京大の国語だったら三行はくれているでしょうし、国語設問に対するスタンスの違いを感じますね。
「なりにけり」なので、「なってしまったということ」としたいところですが、諦めて「なったということ」にしたりしています。
読解後のつれづれ
なんか当然のようにやってますが、そもそも「耳を売る」ってなんじゃい。笑(耳なし芳一じゃあるまいし……) 物理的に耳を移植したりしたのかは不明ですが、なんとなくイメージとしては、耳の形と宿っているご利益を金で売ったという感じで読んでいました。不思議な力でね。ちょっとリアルに想像しても仕方ないところな気がしたので、ファンタジーで。笑
あと餅を喉に詰めて死ぬって、昔からあるあるとして扱われていたような感じなんですね。弱っている老人に餅を食べさせてはいけません。そういう学び(?)もあったところで、今回もお疲れ様でした!



