センター試験(共通テスト)国語 2020本試[2(小説)]解説

目次

解説

ご留意
選択肢の吟味において、「×・△・?」を選択肢の該当箇所に付けていきます。×は「これはちゃうやろ」、△は「ちゃうかもしれん」、?は「びっみょ〜」って感じです。結局は△と?がついた箇所の吟味となることがほとんどです。
あと、私が解答作成前に解いて間違えたところは正直に言います(かなしいけど)。ちょっとご参考にください。

問1

(ア)正答①

「興じる」「合う」の両方をちゃんと捉えているものを選びましょう。④は「興じる」はいけていますが、「合う」が含まれていないのと、「わけもなく」が余計です。

(イ)正答②

「重宝される」の意味からすると、⑤以外はなんとなくいけそうな気がします。傍線部の一文前の「魚芳はみんなに可愛がられているに違いない」から、あまりネガティブな意味は無さそうです。また、八十七行目に「あんな気性では皆から可愛がられるだろう」ともありますので、「可愛がられる」に最も近い②が適切かと思います。

(ウ)正答④

「晴れがましい」の意味から④と⑤を残しました。その上で、⑤は「表情」というように視覚情報に比重が置かれている印象があります。傍線部の「晴れがましい」は「歯医者で手当してもらう青年」(魚芳)にかかっており、七十一行目から始まる段落の内容から、「私」は魚芳の顔をまともに見ているわけではなさそうなので、(それを振り返る「私」が)「表情」に焦点を当てるのはやや難しい印象です。よって④としました。

問2 正答④

割と根拠が薄く、難しい印象です。傍線部直前にも「サイレンはもう頻々となり唸っていた」とあり、おそらくこれは空襲警報かと思われますので、「外界の戦争が激しくなってきても、私は自分の中に閉じこもって亡き妻のことを回想していた」のような、無難な意味合いのものを選ぶのが良さそうですね。

選択肢の吟味

①「恐怖にかられた『私』は、妻との思い出に逃避し安息を感じていた」が?です。「私」が「恐怖にかられて」いたかは読み取れません。どちらかと言うと外界と断絶した関係を想定した方がいい気がします。

②「やがて妻との生活も思い出せなくなるのではないかと怯えていた」が△です。そのように読み取れる記述があまりありません。

③「妻と暮らした記憶によって生活への意欲を取り戻そうとしていた」が△です。そこまでポジティブな感じでもないと思います。

④正答です。「とらわれ続けていた」は「私」の意思や心情の表出が控えめですので、他の選択肢に比べて本文からの乖離が小さめで無難な選択肢と言えましょう。

⑤「妻を思い出させるかつての交友関係にこだわり続けていた」が?です。便りが届くとうれしいという感じの話はありましたが、どこまで「私」がこだわっていたかは不明瞭です。

問3 正答②

「妻の心情」ではなく、「『私』がこのとき推測した妻の心情」を問われている点に少しだけ注意しましょう。基本的に本文は「私」の視点で進んでいますので、それほど問題は起こらないのですが、あくまで「私」がどう感じているかという話です。

「笑いきれないもの」が何かは明言されていませんが、傍線部の後には複数の御用聞きが召集されて「私」たちのもとを離れていく様子が続きますので、こういった(帰ってこないかもしれない)別れが予期でき、魚芳を含む御用聞きとの今までの日常が続かないことへの「笑いきれなさ」かと推定できます。

選択肢の吟味

①「彼らは生きて帰れないのではと不安がっている」が?です。魚芳たちが「私」たちの元を離れていくであろうことは予測ができますが、「生きて帰れないのでは」というほどまでに具体的な予感を示す記載がありません。

②正答です。明るい振る舞いであっても、それは戦争(これからの二人の入営)に密接に関わっているものであり、完全に無邪気な気持ちでいられないという妻の心情を「私」は推測しているという形です。

③「商売人として一人前になれなかった境遇にあわれみを覚えている」が△です。根拠が薄弱ですし、前後の入営や御用聞きの召集といった文脈を踏まえられていません。

④「『になえつつ』の姿勢すらうまくできていない」が△です。妻は、二人の「になえつつ」の格好がおかしいので笑いこけてはいますが、それがうまくできていないためとは書かれていません。

⑤「魚芳たちは将来の不安を紛らそうとして、騒ぎながら『になえつつ』の練習をしている」が△です。魚芳たちの「になえつつ」が、素直な騒ぎなのか、不安を紛らわすためなのかは特に書かれておらず、判断ができません。

問4 正答⑤

明瞭ない根拠が見つけづらく、判断が難しい感じです。特段理由らしい理由がないので、周囲の記述や推測から考える形になります。六十一行目の記述から、妻(および「私」)の目から見ると、魚芳(成吉)は兵役から戻ればまた魚屋をやるつもりがあるように見えているようです。また、傍線部の後にも魚芳(魚屋)に行くと言って急いで立ち去った記述から、自身が魚屋の御用聞きとして過ごしていた頃の意識をある程度残しているのではないかと思われます。

また、離れているので厄介ですが、八十九行目の内容から「遠慮して這入ろうともしない」がメインの理由であることはわかります。

選択肢の吟味

①「連絡せずに『私達』の家を訪問するのは兵長にふさわしくない行動だと気づき」が△です。そのように成吉が感じていると捉える根拠が見当たりません。

②「再び魚屋で仕事ができると思ってかつての勤め先に向かう途中に立ち寄った」が△です。成吉が本当に「再び魚屋で仕事ができると思って」いたかはわかりません。そう思っているのかしら……と、妻が嘆息しているまでです。

③「すぐに訪れなかったことに対する後ろめたさを隠そうとしている」が?です。「きちんと立ったまま、ニコニコしていた」わけですから、「後ろめたさ」を素直に読み取ることは難しいと思います。

④「予想以上に病状が悪化している『妻』の姿を目の当たりにして驚き」が?です。妻の病状が良くないことは描かれていますが、それに対して成吉が反応しているかは不明です。

⑤正答です。「わきまえようとしている」が「遠慮して」と一致しています。

問5 正答②

一読で違うと言う判断が難しければ、逐次該当箇所に戻って読み直すようにしましょう。該当箇所における齟齬や言い過ぎなどを外していきつつ絞っていきます。

選択肢の吟味

①「紋切り型の文面から少数の知己とでさえ妻の死の悲しみを共有しえないことを知った」が△です。二行目に「紋切り型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった」とありますので、感情として一致しません。また「魚芳とも悲しみを分かち合えないのではないか」も△です。気掛かりにはなっていますが、「悲観的な気持ち」は明言されていません。

②正答です。「疲弊して帰郷する青年の姿に、短い人生を終えた魚芳が重なって見えた」は判断が難しいと思いますが、八十七行目から始まる段落において、「魚芳」は段々と抽象化されて想起されています。それは、「遠慮して這入ろうともしない魚芳」→「歯医者で手当してもらう青年」→「とぼとぼ遠国から帰って来る」というように、魚芳と重なる名詞が段々と抽象度を上げていくことから感じられます。この時代、魚芳のような青年(男)はいろいろなところにいたはずで、「私」の想起は魚芳を中心としつつ、多くのやりきれない死を迎える(迎えた)男たちとも重なって思い浮かんでいると思われます。

③「新たな環境になじんだ様子を知る」が?です。魚芳が現地に「なじんだ」かどうかがわかりません。また、「すぐに赴任先が変わったので、周囲に溶け込めず立場が悪くなったのではないか」も?です。どこからそういう判断をしているのかがわかりません。

④「時局を顧みない楽観的な傾向が魚芳たちの世代に浸透しているような感覚にとらわらていった」が△です。「楽観的な傾向」が浸透していたというまでの内容は、この箇所からは読み取れません。ここ(この瞬間の魚芳)だけを切り取ると、そういうきらいも多少はあるのかもしれませんが、「魚芳たちの世代」とするのはやや無理があります(「になえつつ」の話とはタイミングが違うので、切り分けて考えたほうが良いと思います)。

⑤「まるで他人事のように語る返事」が?です。「何のことやらわかりません」とは言っていますが、「おそろしいことですね」と言っており、「内地はわけわからんくらい物価高くておそろしいことですね」という意味合いだと思われます。また、「内地への失望感を高めたことに不満を覚えた」も△です。そのような記述が見当たりません。

問6 正答③・⑥

「適当でないもの」なので、適当なものはあまり触れないで選択肢を見て参ります。

選択肢の吟味

①「適当なもの」なのですが、ちょっと触れておきたいので書きます。「魚芳」という語は、本文でもいきなり出てくるので戸惑いますが、どうやら最初は人を指しているらしいと読み進めるより他ありません。後に、「魚芳」という魚屋と、「魚芳の小僧」の両方を「魚芳」と呼んでいるらしいことが明らかになります。

③「人物や動物の様子をユーモラスに描いている」が△です。九十行目の「とぼとぼ」は「ユーモラス」と言うにはかなり酷かと思います。

⑥「妻の状況を断片的に示し、『私』の生活が次第に厳しくなっていったことを表している」が?です。「私」の生活は次第に厳しくなっていったようにも読めるのですが、それが妻の病状に影響をもたらしていたかはあまり明瞭ではありません。

読解後のつれづれ

課題文は一九四八年の文章ですが、ところどころ面白い言葉遣いがありました。

八行目の「頻々と」はあまり見たことがありませんでしたし、三十五行目では「行ける」という可能動詞の代わりに「行かれるようになっていた」とあり、「行く」に可能の「れる」をくっつけています。四十五行目の「小豆に立ち働いた」も魚芳の様子を活写していますし、四十七行目の「料理の」も今は「コツ」と書くのが一般的ですね。

ともすると、現代語では誤字・誤用として両断され得る表現ですが、そのような「正しい」「正しくない」の二局的な判断に身を呑まれてしまわないためにも、そして自分の言葉遣いを常に相対視・批判視できる態度を持ち続けるためにも、幅広い文章を読んでいきたいものです。

それでは、今回もお疲れ様でした!

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