東京大学 国語2022[一]解答例と解説

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総評

恥ずかしながら東大の問題をまともに解いたのは初めてだったのですが、やっぱり難しい〜ですね。笑

これもよく言われる話なのかもしれませんが、京大よりも密度の濃い要約の要請が非常に強い印象を受けました。

全体的に例示も多く、課題文としてわかりにくいわけではないのですが、いつの間にか筆者の言いたいことを見失っていることも多い文章な気がします。一文一文や、一つ一つの例示がどのような効果をもたらしていて、その段落ではどのようなことが言われているのかという点をしっかりにぎりながら読み進めていきたいですね。

解答例と解説

(一)

国外で、日本人の中でも別集団を築く感覚を忘れ、同じ日本人だからいう同族意識に甘んじた点で、筆者も日本人に特徴的な心性を備えていたということ。

前半と後半で分けて考えるのが良いかもです。

前半「その『甘さ』において」は、直前の「甘い想定」を受けており、その「甘い想定」とは、「日本の中では〜たがいに壁を築く。しかし、ひとたび国外に出れば……。」を受けています。この「……」の中身が解答に入れたい内容、というところまで読めていればまずOKです。で、この説明自体は傍線部アが含まれる段落の次の段落にあります。「同じ日本人なんだからちょっと説明を聞くくらい……」ですね。このままでは筆者の一人称視点になりますので、外から見て地の文として説明しましょう。私の解答例では「日本人としての同族意識に甘んじた」としています。注釈中で特定の意味を与えられている「甘え」という語をそのまま使うのは少し避け、「甘んじる」という別の一般的な後(しかし意味的には極めて近い語)を使うことで、いい感じにまとめているつもりです。

後半の「私はまぎれもなく『日本人』だった」は比喩的ですので、割と自分の言葉で説明しています。注釈から、「甘え」の心理は「日本人の心性の大きな特徴」とされています。筆者もこの例に漏れず、「日本人に特徴的な心性を備えていた」ということです。

部分点

〈国外で〉、〈日本人の中でも別集団を築く感覚を忘れ〉、〈同じ日本人だからいう同族意識に甘んじた〉点で、〈筆者も日本人に特徴的な心性を備えていた〉ということ。

「国外で」はあった方が良いかと思います。「その『甘さ』」に含まれると思うからです。

(二)

集団の一部を可能的に異質なものとして排除するという日本のナショナリズムの心性が、日本国内と国外の両方の人間を対象に向けられつつあるということ。

むずっかし〜。これも前半と後半で考えましょう。

前半「その残忍な顔」ですが、比喩と傍線部前の内容から「異質な人間を排除する考え方」という核は何となく見えると思います。ただ、この「残忍な顔」が、「ナショナリズム一般に言える残忍な顔」なのか、「日本のナショナリズムに特有の残忍な顔」なのかでちょっと委細が異なります。少し後半の内容と相互に関わりますので付言しますが、〈外〉と〈内〉というのは、日本国外と国内という話だと思われます。そして、指示関係がかなり取りづらいですが、「国内」に対して「異質な人間を排除する」という考え方を当てはめるのは、日本のナショナリズムに特異なものだと述べられています。

あわあわしてきたのでちょっと戻って、本文の順番で整理しますね。傍線部イが含まれる段落の半ばに、「日本のナショナリズムは、かつても現在も、このガイドのようにきちんと振る舞える人々を欠かせない人材として要請し、養成してきた」とあります。「このガイド」は、筆者という「同じ日本人」に対しても「集団の外」と明瞭に区別し、間口をピシャリと閉じました。筆者はこれを「きちんと」としています。つまり、「同じ日本人」の中であっても、一部を可能的に「違う人間」として切り離すということです。

しかし、「切断し排除する」という力自体は、どのナショナリズムにも共通して言えることです。それがないと、「外国人」を排除できないから。でも、「日本のナショナリズムはこの点で特異な道を歩んでもきた」とされている「この点」とは何ぞや。それはおそらく、「同じ国民」から「異質な人間(比喩的に、非国民)」を「浮かび上がらせて、排除する」ということ、それも「きちんと」、、、という点ではないでしょうか。

ここまで踏まえて、「残忍な顔」とは、「日本の国内外に向けられる顔」であり、国内に向けられうるということは「日本のナショナリズムにおける心性」であり、(「外国人」のみを排除するのではなく、)「(同じ日本人を含む)集団の一部を可能的に異質なものとして設定し、排除する」というところまで含めれば良さげかな〜と思います! 長かった!

部分点

〈集団の一部を可能的に〉〈異質なものとして排除する〉という〈日本の〉〈ナショナリズムの心性〉が、〈日本国内と国外の両方の人間を対象に向けられつつある〉ということ。

「可能的に」は「恣意的に」とかでもいいと思いますが、ちょっとだけズレるかも。「恣意」は「その人が勝手に」という意味を纏いますが、ガイドの女性も「自分勝手に」筆者を排除したわけではなく、日本人のナショナリズム的な心性に沿って排除していますし。「即応的に」とかの方が近いかもしれませんね。

「日本の」は、今回の解答の核となる「残忍な顔」が日本に特異なものとして扱えていればOKです。でも、これって本文にもある通り「特異」くらいには言えると思うんですが、「特有」とまでには言えないと思うんですよね。他の国でもありそうな気もしますし……。しらんけど。

(三)

自然にも思える国や家系といった名付けも人為的な仮構にすぎず、本来の自然界にはそれらの感覚的確信を保証する根拠は存在しないということ。

まず例の如く前半の「文字通りの『自然』」について考えます。本文中では「自然」がいろんな意味で出てきていますが、主に以下のような三段階を考えることができるんじゃないかと。

普通に自然じゃないもの → 自然に思えるけど実は自然じゃないもの(本文中では、生まれが同じということ、またそこからくる同一性)→ 文字通りの「自然」(ガチ自然界)

「文字通りの『自然』」は、傍線部より前の内容から、例えば「ある土地の広がり」であり、それを「『フランス』とか『日本』という名で」呼ぶ必然性は、「ある土地の広がり」自体の中にはないということですね。国や国境といった枠組みも、人間が策定したものであるのでそりゃそうです。

この箇所も別途言い換えている箇所があるわけではないので、自分で説明する必要があります。私は「本来の自然界」としています。まぁ許されると思います。

後半の「どんな名も存在しない」については上記で半分くらい説明してしまいましたが、「フランス」とか「日本」という名前による区別の根拠は元々存在しないって感じですね。少し余談になりますが、名付けとはある意味で区別の境界を引くことです。虹の中には七つの色の名前が付けられていますが、元々虹のスペクトルは連続的なもので、そこに色の境界はなく、恣意的な境界線が引かれているに過ぎません(それは、言語によって虹に含まれるとされる色数が違うことからもわかります)。これと同じで、「ここからここまでが日本だ」とする(本来の)自然的な切れ目は存在しないということです。ゆえに、(地理的な話に限らず)日本という領域も絶対的な足場を持つものではないということで、それが(四)にも繋がっていきます。

部分点

〈自然にも思える〉〈国や家系といった名付けも〉〈人為的な仮構にすぎず〉、〈本来の自然界には〉〈それらの感覚的確信を保証する根拠は存在しない〉ということ。

(四)

日本のナショナリズムは外国人の排除とともに、可能的に自国民の一部を排除する側面があるが、国民の同一性を自然に担保しそうな生まれの同一性さえも制度的に仮構されたものに過ぎず、絶対的基準はないため、日本人は誰しも排除の対象となりうるということ。

むずかし〜! 「本文全体の趣旨を踏まえて」とあるので、何とかして踏まえていきましょう。

傍線部が含まれる段落冒頭の「自然化」とは、その前の内容より、例えば「国籍の取得」のような、「自然でないものを自然なものとする操作」です。でも、「国籍」もとい「国」は、(三)で見たように、本来的に自然界にその根拠を持つものではありません。よって、ここで言う「自然化」ももう少し厳密に言えば「自然でないものを、自然であるとしているものとする操作」というわけです。ということは、「自然化」も結局は人間の取り決めでしかなく、従って「非自然化」(逆流)が起こりうるということになります。

ここまでは割と一般的な話ですが、そのうえで傍線部は「日本人であることに」とあるので、本文から「日本人」の特性も踏まえていきたいと思います。冒頭のガイドの例および(二)で見たように、日本のナショナリズムの特質として、日本という国の中に属する人間であっても、可能的にそれを集団の外と設定し排除するという心性がありました。そのガイドの行為に表れているように、集団の所属・被所属は時と場合と判断者によって可変であり、その境界は必然的ではありません。「生まれの同一性」ですらそうなのですから、いわんや。私もあなたも、いつ「集団の外」の認定を受け、(あくまで比喩的に)「非国民」の烙印を押されるかわからないんですね。ここまでの内容をまとめます。

部分点

〈日本の〉〈ナショナリズムは外国人の排除〉とともに、〈可能的に自国民の一部を排除する側面がある〉が、〈国民の同一性を自然に担保しそうな〉〈生まれの同一性さえも制度的に仮構されたものに過ぎず〉、〈絶対的基準はない〉ため、〈日本人は誰しも排除の対象となりうる〉ということ。

本文全体を踏まえるにあたって、「日本の」と限定した方がいい気がしましたので、冒頭はその部分点です。

「国民の同一性を自然に担保しそうな」は、「安心の根拠となりうる」という意味であった方がいいと思っていますが、これが抜けていても致命的な誤りではないと思います。「自然」の度合いが高そうな「生まれの同一性」でさえも仮構なので、誰でも排除の基準の外に置かれうるよってことですね。

(五)

漢字問題なので解説なし。

読解後のつれづれ

言い回しがちょっと特徴的でしたね! 傍線部イが含まれる段落の「要請し、養成してきた」とか、ラテン語nasciから発生した語を集めて「『生まれ』が『同じ』者の間で、『自然』だからこそ『当然』として主張される平等性」とか。ちょっとうまいこと言ったろ感があって評価が分かれそうですが、私はそんなにキライじゃないです。笑

また、同じく傍線部イが含まれる段落中の後半に「日本人の社会は、いまふたたび、急速に階級に分断されつつある」とありますが、ここで言う「いま」とはいつのことなのでしょうか。それはこの文章が書かれた時なのですが、問題中には初出年の記載がなかったので、私は解きながら「いまっていつなんだろ」って思ってました。調べればわかるんですけど。まぁ記載がないってことは、本当に「いま」とあまり離れていないということなのでしょうね。

骨が折れる大問でした。お疲れ様でした!

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