東京大学 国語2022[二]解答例と解説

目次

総評

和歌の解釈もしっかり必要で、一方和歌以外の本文も主語が取りづらく、何を言ってるのかもよくわからない箇所が多かったのではないでしょうか。リード文から、人物関係が混み入っていることはわかりますので、人物関係図にするなどはした方が良さそうです。特に、「姫君」と「后」や「若君」と「皇子」を混同しないように気をつけましょう。

基本的にシーンは中国ですので、中納言と后のやりとりが主となります。

解答例と解説

(一)

ア やはりそうはできず、この上なく悲しい時に
ウ 思慮深く思いとどまる
キ やはりとても痛切にどうしようもなく悲しい頃合である

ア 「さすがに」は「そうは言ってもやはり」ですが、今回は「さすがにあらず」でミックスして考えるとより良い理解かと思いました。「やはりそうはあらず」となり、「そう」とは、「忍びがたき心のうちをうち出でぬべきにも」となります。「我慢できない心の中を吐き出そうにも、やはりそうはならず(できず)」という感じです。「うち出でぬべきにも」の「べき」は意志の意味だと思います。「わりなし」は「理(ことわり)なし」という理解で、「道理が通っていないほど→とても、この上なく」となります。

ウ 「かしこし」は意味がいろいろありますが、「賢し」と「畏し」の二つが軸にはなります。今回は「賢し」で、「理性的に、思慮深く」などです。現代語で「小賢しい」に近い意味もあると思いますが、今回は割と落ち着いた意味かと。「思ひつつむ」は私はあまり知りませんでした。前の文脈「人目を気にしないのなら、引き留め申し上げるはずだが」の逆接から、「思いとどまる」が良さそうかなと。

キ 単語を丁寧に訳しましょう。「なほ」は「やはり」、「いと」は「とても」、「せちに」は「切に」なので「切実に、痛切に」、「やるかたなし」は「やり場がない」ので「どうしようもない」という具合です。どれも覚えておけると良いくらいの語句です。最後の「ほどなり」の「ほど」は「時」が最もスタンダードな訳ですが、今回は「暮れゆく秋の別れ」を受けており、「時間、瞬間」にしぼらず、「秋」という時期間、「別れ」というシーン性も取り込みたかったため、「頃合」としてみましたがいかがでしょう?

部分点

ア 〈やはり〉〈そうはできず〉、〈この上なく〉〈悲しい〉〈時に〉
ウ 〈思慮深く〉〈思いとどまる〉
キ 〈やはり〉〈とても〉〈痛切に〉〈どうしようもなく悲しい〉〈頃合である〉

ア「かなしきに」の「に」は、「時に」と補った方が良いと思います。

キ「なほ」は副詞なので、「せちに」を修飾しているという点は意識しておきましょう。あんまり解答には表れてこないとも思いますが。

(二)

ただ幻として出会って結ばれたのは、現実に結ばれたとは言えない

難しいです。和歌の形式上の切れ目は「ただまぼろしに/見るは見るかは」ですが、内容としては「ただまぼろしに見るは/見るかは」という感じです。「かは」が反語であることは基本的な内容なので、必ず押さえておきましょう。また、「見る」は現代語における「見る」より意味が大きく、「出会う」「結婚する(結ばれる)」まで入ります。「ただ幻のように出会うのは、出会うと言えるだろうか、いや言えない」というのが直訳になります。

上の句も踏まえると、「夢としてさえ、どうして思い出すことがあるでしょうか、いやございません。ただ幻として出会ったのは、現実に出会って結ばれたとは言えないのですから」みたいな形になります。和歌の解釈ってむずかし〜!

部分点

〈ただ幻として〉〈出会って結ばれた〉のは、現実に〈結ばれたとは言えない〉

「かは」がちゃんと取れているかで丸ごとゼロ点かどうかが変わると思います。取れていなければ部分点はもらえないのではないかと……。

(三)

母や大納言の姫君との別れの悲しみについて、比類なく、また他人事でないように思った

「何について」は直前の内容を取ればOKです。「日本に母親や大納言の姫君を残して別れてきたこと」への「あはれ」なので、ここでは「悲しみ」としています。「たぐいあらじ」は「類を見ない」なので「この上なく」ですが、私の解答例では「比類なく」と原文に近い訳し方をしてみました。「人やりならず」は「他の人に投げかけることもできず」ということなので、「他人事でなく」としました。

部分点

〈母や大納言の姫君との別れ〉の〈悲しみ〉について、〈比類なく〉、また〈他人事でない〉ように思った

(四)

目の前の光景は全て二度と見ることができず、后との再会も不可能だと諦めているから。

傍線部は「全ての事物が目にとまり、しみじみと心を動かすのも当然であって」となります。これがなぜかというと、まず入れたいのは「これは、またかへり見るべき世かは」です。「世」は「世界」もありますが、「男女の関係」もありますので、后との関係を含めたこの世界(中国)かと思います。よって、「これ」は「眼前の光景+后との関係」で、「またかへり見るべき世かは」はまた反語で、「再び戻ってきて出会うことができる世界だろうか、いやできない」です。よって、眼前の光景と后との関係が、もう再開を果たせないものであると思っているから、「全ての事物が目にとまり、心を動かすのも無理はない」という形ですね。

「思いとぢむる」は「思い」を「閉じる」なので「断念する、諦める」とかになります。含められるとなお良い気がしますが、なくてもまぁ耐えると思います。

部分点

〈目の前の光景は〉〈全て二度と見ることができず〉、〈后との再会〉も〈不可能だと諦めている〉から。

(五)

中納言は若君の父親であるという関係があるから。

とても難しかったです。私は初見では正当らしき答えを書けていませんでした。かなしい。

「われをばひたぶるにおぼし放たぬなんめり」は、「私をひたすらにお思いになり諦めないようだ」となります。「おぼし放つ」は「思ひ放つ」の尊敬語で、「思ひ放つ」は「見放す」の「思ふ」版というイメージでしょうか。これは后が主語です。

「若君のかたざまつけても」ですが、「かたざま」は「方様」で、「その方面の様子」と分解できます。「若君の方面の様子を考えても、私をひたすらに諦めなさらないようだ」となり、「若君の方面」とは、「若君が自分の息子であるという関係」から、后の「若君という息子を通じて繋がっている中納言との関係を諦めないようだ」という様子に繋がるのかなと思います。

部分点

中納言は若君の父親であるという関係があるから。

部分点なしかな〜と思います。

読解後のつれづれ

非常に古文らしく、主語や要旨が取りづらい文章でした。やっかい〜。

リード文からしてドロドロの気配がしますね。笑 
契りを結んだ姫君を尻目に自分のお父さんが転生した皇子の母親と子を持つってどうなん。まぁリード文の「姫君を残して、朝廷に三年間の暇を請い、中国に渡った」の時点で「これ絶対向こうで女作るやん……」って思って読み進めたら案の定そうでした。その辺の感覚は我々とは違いますんで、そういうもんです。

人間関係がややこしい古文を読む際は、人物名の表記や敬語にいつも以上に気を遣えるといいですね。

ではでは、今回もお疲れ様でした!

この年の他の大問の解説

役に立ったらお友達にシェアしてね
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次